Twinkle Star!
5 期末試験
「さて、来週からは期末テストだ。結果次第じゃ夏休みも学校に残ってもらうから、頑張れよ」
一日の授業の終わり、メフィストフェレウスの予告に教室中からブーイングがあがる。一方、エトワールはようやく基礎が終わるのかと安堵の息をついた。初等教育三年間の内容をほぼ三ヶ月でやりきるのはなかなかスピーディで、そこは面白かったが、結局は基礎だ。特に目新しい発見もなく、退屈で間延びした日々だった。
しかしそれもようやく終わる。期末テストが終われば、一週間ほど置いて夏休みに入る。夏休みが明ければ二学期に入り、実践的な授業を受けられる。放課後にスピカに教えていた事もあって、実に長い一学期だった。エトワールとしては夏休みなんてなくてもいいぐらいだった。
「……ね、ねえねえエトワール」
「ん?」
メフィストフェレウスが去り、放課後に入る。試験を憂うクラスメイトの声を聞きながら部屋に戻る準備をしていると、おずおずとスピカが話しかけてきた。
「何だよ、勉強はもう終わっただろ?」
メフィストフェレウスに言われ、放課後を使ったスピカへの勉強会は、数日前に終わっていた。学園に通う生徒としてはまだまだだが、及第点と言えるところまでいったからだ。後はスピカが復習を重ねて理解を深めるしかなく、エトワールがわざわざ教える必要はない。
「うん、そうなんだけど……先生が言ってたの、本当かな?」
「テストの点が悪かったら夏休みも残るってやつか? ……まあそうなんじゃないか? 余りに酷かったら居残り補習ぐらいさせられるだろ」
他の生徒よりも習熟度が低い、いわゆる赤点だと判明すれば、学校側としてはその生徒を放っておくわけにはいかない。特に基礎がおろそかであればなおさらだろう。スピカはガンとショックを受けたような顔をしたと思った次の瞬間、頭を下げてきた。
「お願い! 試験勉強教えて!」
「はぁ?」
ようやく勉強会が終わったのに、また教えろと言うスピカに、エトワールは眉をひそめた。
「何でだよ。こないだまでので充分だろ。試験は普段の勉強が出るんだから、赤点取ったら勉強不足って事だろ。大人しく夏休みも勉強しとけ」
定期試験の目的は、各員の習熟度を計る事だ、とエトワールは思っている。試験のために勉強なんてしたらその習熟度が誤魔化されてしまって意味がない。だからことさら試験勉強をする必要がないというのがエトワールの意見だった。スピカが赤点を取って夏休みを失ったとしても仕方ないことだ。
「そ、それじゃ困るの! 夏休み、なくなったら困る!」
「そんなに遊びたいのか?」
しかしスピカは夏休みにこだわり、腕をぶんぶん振って駄目だと主張してくる。怪訝に思って問うと、スピカは今度は首を横に振った。
「遊びたいわけじゃないの。あ、えっと、本当に遊びたくないわけじゃないんだけど……でも遊ぶために夏休みが欲しいわけじゃなくって」
「じゃあ何だよ」
「夏休みならお家帰れるでしょ? だから……」
「……あー」
スピカの理由にエトワールはガリガリと頭をかいた。そういえばスピカは田舎の村で生まれ育ったと言っていた。時々する話では、義理の弟や妹達の面倒をよく見ていたようだし、数ヶ月も離れれば里心もつくだろう。
遊びたいだけなら突っぱねたが、そういう理由では拒否しづらかった。放課後にエトワールも教えたとはいえ、スピカが未だ魔法に不慣れなのは疑いようがない。下手をすれば試験を受けるというイベントすら初めてである可能性がある。夏休みを剥奪される未来は容易に見えていた。
「……わぁったよ。っても復習するだけだけどな」
「わぁ、ありがとうエトワール!」
「面倒見てやるんだから、赤点なんて取るなよ」
「うん!」
まだ試験が始まってもいないのに、スピカは先ほど見せていた不安なんて欠片もないような明るい笑顔で、エトワールの言葉にこくこく頷く。その脳天気な様子に息をついた。
同い年とはとても思えない、知識も足りなければ思考回路も単純そうなスピカだが、一学期中面倒を見る羽目になって、素直で努力家なところは評価出来るとな、と感じていた。無意味な繰り返し作業は流石に受け入れられないようだが、きちんと呪文の基礎を覚え、そのために何度も書取を行っていた。エトワールが見ていないところでも復習をしていたようだった。そういうところは評価してもいいと思う。
「楽しみだなぁ。皆元気かなぁ」
「その前に目の前の試験の心配をしろ」
「あうっ」
既に心が夏休みに飛んでいるスピカの額を叩き、たしなめる。スピカは不服そうに唇を尖らせたものの、脳天気だったと分かっているのか、「はぁい」と返事をした
「エトワールっ」
「分かってるからそんな急かすな」
翌日の放課後も、ホームルームが終わるや否や、スピカは手早く荷物をまとめるとエトワールの腕を引っ張ってきた。勉強の遅れがあるスピカが、一分一秒も惜しんで学ぼうという焦りは分からないでもないが、そこまで急いでも状況が変わるわけではない。急かすスピカをなだめながら、エトワールも教科書や筆記用具を鞄に入れていく。
「行くぞ」
「うん」
すぐに荷物をまとめて立ち上がったエトワールは、スピカと共に教室を出た。試験を目前に控えた校舎内は、どこか緊張感を漂わせているように感じる。長期休みの有無がかかっているからなおさらかもしれない。エトワールとしては、一学期の内容で長期休みを剥奪されるような点数をとるなら、まずこの学園に入れないと思うのだが。
横を歩くスピカにチラリと目をやる。魔法の存在すら知らなかったスピカは、間違いなく本来この学園に入学出来ていない人物だ。保護者がたまたま教頭と知り合いで、たまたま素質を見いだされたわけで、そういった接点や偶然がなければおそらく入学すら検討しなかっただろう。そしてエトワールが勉強を教える羽目にならなければ、落第していたかもしれなくて。
幸運だ。エトワールは眉をひそめた。
「あ、スピカちゃん」
「あれ、ろーちゃん」
と、一階に下りた二人の前に、同じ一年生の女子三人組が現れた。その内の一人、どんぐりのような金目をした、三人の中でも一番背が低く子供っぽい少女が話しかけてくる。
「スピカちゃん、その人がえとわーる?」
「うん。そうだよ」
「ふぅん。つよそーな人だね」
相手の方が身長が低いため、自然と顔を覗き込まれる形になる。じろじろと、品定めをするように見られ、エトワールは思わずムッとした。「ろーちゃん」と呼ばれた少女の後ろに視線をやれば、大人びた風貌の赤褐色の髪の少女も、もっとも年相応に見える水銀色の目の少女も、計るような目でエトワールを見つめていた。スピカの知り合いならそっちを気にしろよ、と思えど、口に出すのもプレッシャーに負けた扱いになる気がして、エトワールは黙っていた。
「そうだスピカちゃん、いっしょにべんきょーしよ?」
「勉強?」
「うん。もーすぐテストでしょ? だからけーちゃんといーちゃんといっしょにおべんきょーだって」
おそらく「けーちゃん」「いーちゃん」というのは後ろにいる二人の事だろう。この程度の内容の定期試験の結果すら危ぶまれる人物はスピカ以外にもいたようだ。実際、頭はさほど良くなさそうに見える。何も考えていなさそうだし、言葉も間延びしてて知性は見当たらない。あるいはそう振る舞っているだけかもしれないが、そこまで考えないといけないほど気になる相手でもなかった。
「うーん……でもあたし、エトワールにもう頼んでるから……」
少女の誘いに、スピカは困ったようにエトワールを見上げる。視線を向けられて、エトワールは肩をすくめた。
「何だよ」
「ろーちゃんが試験勉強しようって」
「それは聞いてたってぇの。……行きたいなら行ってくればいいだろ。友人かなんかなんだろ?」
やりとりを見ればそのくらいは分かる。クラスメイトではないから、寮で面倒をみてもらっているのだろう。教師に言われたから勉強を見ているだけのエトワールよりも、同性の友人の方がいいに決まっている。そもそも、試験勉強までエトワールに付き合わせる必要性はどこにもないわけで、自分から教えると言う者がいるのならばそちらに頼ればいい。
「でもでも、エトワールにお願いしてたし……」
ところが、スピカは妙に渋る。先に頼んでいたからなんだと言うのかと、エトワールは眉をひそめた。
「気にしないっていうか、お前に付き合って試験勉強するのは無駄な時間使ってんだけどな?」
「う。あ、あたしには無駄じゃないよ!」
「無駄だったら怒るぞ」
わざわざエトワールの時間を割いてあれこれ教えているのだから、身になっていなければキレているところだ。そも教えなくていいのならば、エトワールはそれで構わない。「ろーちゃん」達とやらに誘われて心が揺れているのは明らかで、何も気にせず行けばいいのに、スピカは「でも」と首を横に振る。
「じゃー、アタシたちがいっしょにべんきょーするのはどー?」
「一緒に?」
「そー。エトワールせんぱいとスピカちゃんがいっしょにべんきょーして、アタシたちもいっしょ」
「……は?」
少女の提案に、エトワールは露骨に嫌な声を出してしまった。その反応に対し、少女はきょとんと首を傾げる。
「しけんべんきょー、するんでしょ?」
「それはスピカだけだ。俺には必要ない」
「えー。ゆだんたいてきだよ?」
「油断なんかしてないってぇの。やるんだったらお前達だけでやれよ。スピカだけでも手に余るのに、これ以上お荷物が増えてたまるか」
この少女はどうしてもスピカと試験勉強がしたいらしい。だったらスピカだけ連れていくべきで、エトワールまで巻き込む必要はどこにもないだろう。しかし少女は納得がいかないらしく、「んー」と反対側に首を傾げる。
「みんなでいっしょならこーりつもあがる?」
「んなわけあるか」
「もしかしたら。わんちゃん? アタシたちもさんにんいっしょのほーがいーし――」
「ロス。もういいわ」
なおも食い下がる金目の少女を、後ろで見ていた赤褐色の髪の少女が、たしなめるように止めた。
「いーちゃんいーの?」
「ええ。出来ればスピカさんも一緒にって思っただけだし、エトワールさんの言う通り、手が余る子がいるのに他に教える余裕があるとも思えないわ」
「えっ、いーちゃんそんなにけーちゃんにこまってたの? たいへんだね?」
「どうしてケルアが私を困らせるのよ! 貴方に決まってるでしょ、貴方に!」
「えー」
金髪の少女に対しキャンキャン怒鳴る姿に、苦労しているんだな、と同情する。エトワールも覚えがある。スピカは基本的に素直でこちらの言うことを聞くが、頑固ですっとぼけた部分があり、頭を痛めてくるのだ。見ればもう一人の水銀色の目の少女も肩をすくめており、二人は日常的にロスと呼ばれた少女に苦労しているようだった。
「……コホン。失礼、取り乱しましたわ。スピカさん、それとエトワールさんだったかしら? ロスがワガママを言って、お時間を取ってしまって申し訳ありません」
「……手が掛かる奴がいると大変だな」
「ええ、本当に。またいつか、お時間の合う時にご一緒出来れば幸いですわ」
「またねー」
「ごめんね、ばいばい」
銘々に一礼をして、三人組はいずこかへと去っていった。スピカは少し申し訳なさそうにしながらも、どこかホッとしていたようだった。
「あっちついてかなくてよかったのか?」
「うん、エトワールと約束してたもん。さ、早く行こっ」
時間を食ったからか、いそいそと小走りで玄関に向かうスピカ。その背中を見ながら、エトワールは頭をかいた。エトワールがスピカに優しくした覚えはない。気心の知れた友人と一緒の方が気楽だろうに、先に約束していたというだけでエトワールとの勉強を選ぶなんて。
「……変な奴」
三ヶ月近く付き合ってきたが、未だによく分からない。男女の差を考慮しても、スピカは理解しがたく、予想しづらい生き物だった。
「そういやエトワール」
「何だよ」
期末テストもいよいよ明日からという夜、図書館で借りた小説を読んでいたエトワールは、急にリギルに話しかけられて眉をひそめた。折角盛り上がってきた場面だったのに、水を差された形だ。エトワールの不機嫌に気付いていて無視しているだろうリギルは、分厚い本とノートから目を上げた。
「お前、テスト勉強はいいのか?」
「必要ないだろ。あんな内容でどうやったら失点するんだよ」
何か用があるのかと思えば、やはり大した事ない内容だった。メフィストフェレウスにも図書館からの帰りにすれ違った際、同じ事を聞かれたが、誰に言われてもエトワールの答えは同じだ。あんな簡単で基礎的な内容ならば失点なんてしないし、テストが普段の授業の成果を確かめるものである以上、ことさら試験対策の勉強をするのはおかしい。
「おーおー、よほど自信があるんだな。流石エトワール様ってか?」
「あんな基礎で不安があったら大問題だろ。ここをどこだと思ってるんだよ」
茶化してくるリギルに肩をすくめる。スピカのような特殊な環境と事情の生徒出ない限り、プレアデス魔法学園に入学する以上、初等教育はかなり高いレベルで修めているはずだ。それなのに一学期を丸々使って基礎をやる学園の方針が理解出来ないし、再度学習したのに試験を落とすような馬鹿の存在も想像しがたかった。
「お前だって楽勝だろ?」
「まあな。俺のテストだけ難しいとかそんなトラップがない限りは安泰だな」
「どんだけ教師に嫌われてるんだよ」
「嫌われてるって言うか……俺だって苦労してんだよ」
机を挟んだエトワールにも聞こえるほど、大きなため息をリギルはついた。定期的に名前を聞いたことのない教師に呼び出されているし、リギルはリギルで苦労しているのだろう。もっともそれに対して、エトワールは同情出来なかったが。自業自得でいい気味だと思う。
「そうだエトワール、そんなに余裕なら刺激がなくてつまらないだろ?」
「は?」
「競争しようぜ競争。テストの点が高い方が勝ちな!」
「……なんだそれ。バカらしい」
リギルの提案に、エトワールはやれやれと首を振った。何を言い出すかと思えば、実にくだらないものだった。
「何だよバカらしいって」
「そりゃあこんなの、満点取れない方がおかしいだろ。引き分けにしかならないのにどうして競争になるんだ」
リギルに相応の知識と実力があるのは、若干不服だが認めざるを得ない事実だ。スピカへ魔法を教えている際、ちょくちょく横からちょっかいをかけてきて、彼には大口を叩くだけの素養があるのだと分かっている。お互いに満点を取れて当たり前のもので競争も何もない。成立しない勝負だ。
「はーん……なるほどな。一理あるわ」
「だろ?」
「じゃあ趣旨を変えよう。満点取れなかった方が負けってことでどうよ?」
「……は?」
エトワールの理屈に納得したリギルが引き下がるかと思えば、そんな事はなかった。むしろもっとやっかいな内容になって、エトワールはますます眉間のしわを深めた。
「どうしてそうなるんだよ」
「刺激があった方が楽しいだろ? どっちも満点取るか、取れなかったら引き分けって事で。いやー楽しみだなー!」
「おい、俺はやるなんて一言も……」
「自信がないのか?」
勝手に話を進めるリギルに苦言を呈そうとすれば、そんな煽りが返ってきた。一学期の間、何度もこの手であれこれのせられたり、厄介なことを押しつけられてきた。無視するのが一番だと理解しているのに、カチンときてしまう。
「ふざけるな。あんな内容で満点なんて簡単に取れる」
「じゃ、決まりだな。返ってきたら勝負と行こうぜ。それじゃ俺風呂行ってくるから」
先ほど挑発的に煽ってきたくせに、エトワールがのると、すぐに引くリギル。日常会話をこなした後のように、何もないかのように部屋を出、大浴場に向かう背中を、エトワールは仏頂面で眺めた。
一学期中、同室だったが、リギルの事は未だによく分からなかった。エトワールの方から積極的に関わらなかった事、同じクラスでない事を加味しても、リギルは得体の知れない人物だった。
何かとエトワールに突っかかってくるかと思えば、数年来の友人かのように親しげに話しかけてくる。挑発する割にはエトワールが喧嘩を買うとスッと引いてしまう。素性も今一つ知れない。性格や行動に一貫性がなく、つかみ所がなかった。ハッキリしているのは、いくつも装飾品を持っている、エトワールに敵意を抱いているという二点だけだった。
そういえば、目前のテストを「余裕だ」と言っていたのに、本とノートを広げていったい何をしていたのだろう。気になったエトワールは、リギルがいない隙に、勉強机の向こう側のスペースを覗き込んだ。
図書館の印が刻まれた本が机の上に積まれ、本棚にはその数倍の数の本がしまわれている。いずれも立派な背表紙がところどころすり切れていて、よく使い込まれていると分かった。一方、本棚の一番上の棚には色とりどりの透明な宝石がついたアクセサリーが、種類を問わずいくつもあった。銘々にケースに入れられ、主につけられる時を待っている。
先ほどまでリギルが書き物をしていたノートを見て、エトワールは眉をひそめた。ノートを埋め尽くすようにビッシリと文字が書かれている。読んでみればそれは呪文だと分かったが――
「……何でこんな長い呪文を?」
魔法の詠唱に用いる呪文は、よほど大規模なものでない限り、短くコンパクトにまとめるのが良いとされている。詠唱が長ければ長いほど発動が遅れ、またマナの操作も難しくなるからだ。しかしリギルが作っていたと思われる呪文は、ノートを一ページ埋め尽くしてもまだ続いているほど長い物だった。こんなに長くては発動の手助けになるどころか、逆効果だ。眉をひそめてみても意図は分からず、もやもやとするだけだった。
「……はい、そこまで! 回答回収するからペン置けよー」
エフィストフェレウスが壇上から教室中に、テストの終了を宣言する。途端、静寂に包まれていた教室のあちこちから、ドッと安堵のため息が漏れた。エトワールも小さく息をつく。
三日間続いた期末試験は、結論から言って難しかった。一日目と二日目のテストは知識の確認がメインで特段難しいわけではなかったのだが、三日目である今日はまったく違った。こちらの習熟度や知識を試すように、授業でやらなかった部分が山のように出てきて、エトワールですら分からずに筆が止まった問題があったほどだった。
意地で空白は作らなかったが、合っているかどうか自信がない。メフィストフェレウスが、二学期以降は習熟度で授業内容が分けられると言っていた気がするが、そのためのテストだろうか。ならば最初からそうだと宣告してほしい。
「疲れた顔をしているな」
「……何ですか。いい気味だとでも?」
机の間を通り、テストの回答を回収していたメフィストフェレウスに声をかけられて、エトワールは眉をひそめた。表面上は優しい教師面をしているが、この教師も教師でやたらとエトワールをおちょくってくる。メフィストフェレウスは「そういうわけじゃないさ」と笑って、次の席に移動した。本当に「ちょっと声をかけただけ」らしいメフィストフェレウスに改めて息をついて、頬杖をつく。
ちらりと窓側を見れば、スピカは他の生徒達と同様、とてもぐったりとした様子で机に突っ伏していた。一昨日のテストが終わった時点で話した時は、テストの緊張感よりも、時間内に文字を書ききらねばならないという、タイムリミットに追われる恐怖に疲よる疲労感を訴えていた。今日はテストの難易度も高かったし、なおさら焦り、疲労が溜まったのだろう。
「よし、これで全員だな。結果は成績表と一緒に、月曜日の終業式にまとめて渡す。赤点の可能性が濃い奴は明日からの四日間のどっかで呼び出すから、心当たりがある奴は覚悟しておけよ」
メフィストフェレウスの脅しに、教室の各所から悲鳴にも似た呻き声があがる。前半二日のテスト内容で赤点を取るなんて信じられない。……とはいえ、その「信じられない」が起こる可能性のある人物を知っているだけに、エトワールは完全には呆れられなかった。
チラリと窓側を見れば、スピカは疲弊した様子ではあるものの、不安を感じてはいなさそうだった。しっかりと手応えはあったらしい。まだテスト返却まで安心は出来ないが、あれだけ付き合ったのだから、赤点は回避してもらわねば困る。
一方、どこかでほっとしている自分がいる事に気付いて、エトワールは眉をひそめた。スピカが赤点を回避して、夏休みが保証されそうだからといって、何故エトワールが安堵するのだろう。エトワールがかけた分の労力に対する成果は残してほしいが、それだけで、彼女の長期休みの有無なんてエトワールの心情には関係しないはずなのに。
「今日はこれで終わりだ。明日はレクリエーションだから、授業がないからって寝坊するなよ」
そう言い残し、答案の束を抱えてメフィストフェレウスは教室を出ていく。生徒達は銘々に立ち上がり、いつものグループでここ三日のテストや、夏休みの予定について話し始める。
「ふぁー、今日のテストすごく難しかったねー」
「……そうだな」
スピカも同様に、隣にいるエトワールに話しかけてくる。いつもなら最初の内は無視するのだが、今回に関しては同意見だったため、すぐに応じた。
「今日のって授業でやってなかったよね?」
「そうだな。……ったく、ふざけやがって」
「あれも赤点の対象になるのかな?」
「流石にならないだろ。あんなだまし討ちみたいなので赤点取られてたまるか」
「そうだよね、よかったぁ。折角エトワールに教えてもらったのが無駄になったらやだったし」
前二日については余程自信があるのか、スピカは何の不安もなさそうにニコニコと笑っている。――そういう顔の方が似合っているな、と感じた。クルクル表情が変わり、見ていて飽きないが、不安やおそれよりも、笑顔でいる方がスピカらしい。
「あ、そうだエトワール、夏休み入ったらすぐお家帰るの?」
「ん? ……いや、学園にいるつもりだけど。何でだ?」
スピカから夏休みの予定を聞かれて、疑問に思いながらもそう返した。エトワールは夏休み中、家に帰らず寮で過ごすつもりだった。実家に戻ってまでしたい事なく、むしろ次兄が絡んできてうざったいと予想出来るためだ。読書をして過ごす日々に変わりはないのなら、少しでも静かな環境の方がいい。それがどうしたのかとスピカの説明を待つ。
「そっか。あのね、あたしの村、夏になるとお祭りするの」
「お祭り?」
「うん。あ、でもそんなに派手じゃないんだけど……えっとね、そのお祭りで使うお花があるんだけど、取りに行くのが難しくて、いつもは違うのを使ってるの。でも今年は本物を使えないかなって思って」
「その花を取りに行くのを手伝えと。どこに取り行くんだよ」
「うん。アトラス山の頂上に咲いてるんだって」
「アトラス山……ってアトラス山? 正気か?」
どうせ大したことではないだろうと適当に聞いていたエトワールは、スピカが答えた採取地に、思わず席を立ち上がりかけた。スピカはキョトンとしてエトワールを見つめる。
「そんなによくない場所なの?」
「危ないんだよ。普通行かないぞ」
危険性を理解していないスピカに、エトワールは顔をしかめた。
アトラス山。神や化け物が住むと囁かれる古い山だ。アレイェメレク帝国領土内でもっとも高いとも言われ、年に数度、神官団が巡礼に訪れる他に、人の出入りはほとんどないと聞いている。少なくとも学生のスピカやエトワールが行く場所ではないだろう。
「でも神父様が言ってたよ。エレンホス様やゲラ様の神官は皆一度は巡礼に行くんだって。だったらあたし達でも大丈夫だよ」
「お前な……」
その辺りの知識がないのか、単に危機感が薄いのか、スピカは自信たっぷりにそう言った。呆れたエトワールだったが、一理あるとも思った。危険だ何だと言われていても、年に数度は巡礼で人が入っているのだ。化け物がいるなんていうのも、霊峰にみだりに入られたくない教会側が流した作り話だろう。空を飛んで行けば頂上なんてあっという間なのだし、取るものだけ取ってすぐ帰ればきっと問題ない。何よりも、
「……ま、やることもないし付き合ってもいいか」
エトワールには、スピカの誘いを断れるような夏休みの予定がなかった。
「ホント?」
「その花手に入れたらすぐに帰るって条件でな。他に用はないんだろ?」
「うん、大丈夫! わぁい、エトワール、ありがとう!」
今にも飛び跳ねそうな勢いで喜ぶスピカ。彼女の体の動きに合わせてサイドテールが揺れていた。
その夜、エトワールは魔具の専門書を引っ張り出し、呪文の構築を行っていた。移動手段を聞いたところ、スピカは当然のように「ほうき」と答えてきた。やはり空を飛ぶつもりだったのだ。スピカはそれでいいだろうが、エトワールはよくなかった。
スピカが風魔法について天才的な才能とセンスを持っているのは間違いない。ではエトワールはどうかと言えば、悔しいし納得いかないが、「スピカほどではない」とせざるを得なかった。今のエトワールでは、地上から学園まで、自分の身一つで飛んでいく事は出来ない。しかしスピカの後ろに乗せてもらうのもプライドが許さない。
ではどうするか。自分の力だけでは飛び続けられないのなら、道具の力を借りればいい。魔具を使用すれば消費するマナは少なく済み、魔法を維持しなければいけない場合でもやりやすくなる。幸いにして、エトワールには魔具の作成経験があり、そのための資料や材料も、少量だが持ち込んでいた。
とはいえ魔具作成なんて久しぶりで、長時間飛行の物なんて初めてだ。呪文の作成もいつもよりずっと丁寧に、構文に気をつけてやらねばならない。眉を寄せ、専門書のページをせわしなくめくりながら書き進めていく。
「よう、何やってんの?」
「……邪魔しにきたなら殴るぞ」
ようやく半分ほど、というところで、風呂から戻ってきたリギルがこちらの領域に入って親しげに話しかけてきた。頭をフル回転させて呪文を組み立てているのに、邪魔をされてエトワールは眉間のしわを深めた。リギルは不機嫌なエトワールなんて全く気にしていないかのように、ノートに書かれた呪文をふんふんと頷きながら読む。
「飛行の魔具? また大変なもん作ってんな」
「分かるのか?」
「そりゃあな」
魔具の作成はかなり専門的な内容だ。魔具の核である魔結晶は作るのに時間がかかり、呪文の構築も厳密にやらねばならない。大体の魔法はそこまで手間をかけるなら、普通に発動した方が早くて楽だった。そのため、魔具を作成する魔法使いはごく少なく、学園のカリキュラムでも二年生からになっている。だから少し呪文を読んだ程度で、何をしようとしているのか分かったリギルに驚いた。
「まあお前なら作れるだろうけど――あ、ここ間違ってるぞ」
「あ?」
「ほらここ。飛び始めだろ? オープじゃなくてモヴェダーじゃないと、余計なマナ使うぞ」
「………」
「あとこっからここまで、同じ構成書いてるけど、これならクーツクーテで囲ってテトラコピーアクトすれば単語量減るだろ? あとここは文法間違ってるな。風を扱うんだったら第三じゃなくって第四だ」
魔法の実力がないとも知識がないとも思っていなかった。むしろ一年生の中で、エトワールに匹敵するほど優秀な生徒である可能性もあると少しだけ思っていた。しかしスラスラと呪文のミスを指摘してくるとは思わず、エトワールはまじまじとリギルの顔を見てしまった。
「何だよ。男前だって?」
「誰が。……詳しいな、お前」
「ま、こんくらいはな、必要だから。分からないことあったら何でも聞いていいんだぜ?」
どこか得意げに胸を張るリギル。――必要だというのが、今一つ分からなかった。魔具の作成には手間がかかり、それならば魔法を普通に使った方が早く楽で、初等教育では間違いなく魔具になんて触れない。なのにリギルは「必要」だと言った。いったいどうして、学生の内に魔具の知識が必要になるのか。気になったが、変に追求してリギルの自慢話をされても嫌だと、深く触れない事にした。