Twinkle Star!
3 井戸端評論
今学期最初の授業が終わり、メフィストフェレウスは教員棟の喫茶室に来ていた。プレアデス魔法学園の教師になって数年経つが、授業初日はいつだって緊張する。といっても、上手く教えられるかなんて危惧した事は初年しかないが。
「よっ、おつかれ」
「そっちもな。飲むか?」
「コーヒーならな」
「はいはい」
共用品が入っている棚からコーヒーを淹れるための道具を取っていると、同じく初日の授業を終わらせてきたイワーヌシカがやってきた。冗談めかしく自分の首を指すと、イワーヌシカは呆れた目で見てきた。まあこんなところで飲んでもらおうなんて、メフィストフェレウスも本気では考えていないが。
「スタットコールウォーマーエンデ」
「……過保護だな。これぐらい大丈夫だってのに」
「それでいっつも溜め込むのはどこの馬鹿だよ」
「気のせいだって」
水を入れたケトルを加熱専用の魔具に乗せ、起動――は、イワーヌシカにされてしまった。メフィストフェレウスはある体質から、マナをあまり使えないのだが、魔具の使用は通常の魔法に比べればマナの消費が少なく済むケースがほとんどだ。この魔具もそうなのに、わざわざ発動を肩代わりするイワーヌシカの心配性に息をつく。あちらからすれば、気楽に構えているメフィストフェレウスの方に呆れているのだろうが。
「お、イワン君とメフィ君じゃないですか」
「あ、クルクスさん」
「どうも。クルクスさんも休憩ですか?」
「そんなところですねー。後は一年生組の評判を聞きたくって」
淹れたコーヒーとクッキー缶を手にテーブルの一つに着くと、今度はクルクスがやってきた。女性らしく噂話が好きな彼女は、毎年こうして新入生の様子を聞きにやってくる。毎年の事なので、特に驚きも抵抗もせず、メフィストフェレウスはクッキー缶をテーブルの中央に置いた。
「といってもおおむねいつも通りですよ。基礎だからって舐めてかかってる奴ばっかです」
「だな。クルクスさん好みの反骨心のある少年はいないっすよ」
「べ、別に好きなわけじゃありませんー! そういう子は好ましいなーってだけですー!」
言ってる事は何一つ変わらないと思うのだが、クルクスはそれに気付いていないらしく、あわあわと手を振る。そういうところがシャートにいつまでもからかわれる原因なんだろうなぁ、と二人とも思ったが、黙っておいた。
プレアデス魔法学園に入る生徒達は、おおむねプライドが高く、ここでさらなる技術を身につけようという向上心を持つ者が大半を占める。そんな彼らにとって「基礎のやり直し」なんて、自分を馬鹿にしているとしか思えない内容だ。年によっては授業中にも関わらず、激高して挑みかかってくる者もいたりする。
「ま、こっちとしちゃあ挑みかかってくる奴がいた方がやりやすいっすけど」
「こら、イワン」
「お前だって同じだろ。実力差見せつけた方がおとなしくなるんだからさ」
「……まあそうだけどな」
イワーヌシカの発言をたしなめるも、メフィストフェレウスも暴れる生徒がいた方がその後がやりやすくあった。プライドが高い生徒達に言う事を聞かせる一番早くて手軽な方法は、こちらが上だと示す事だ。教師という立場上、自分達から喧嘩を売っては大問題になるが、生徒から売られる分には必要な行為で済む。
「まったくイワン君は血気盛んですねぇ」
「そっちの方が楽にやれますし」
「あんまり手荒だとまた校長に怒られますよ?」
「……ぅ」
以前よりはマシになったが、イワーヌシカの短気で勝ち気な面は直っていない。教師となってからもその性格から問題を起こす事が多く、他の教師、教頭、学園長と、様々な人物に釘をさされたり、叱責を受けたりしていた。特に学園長に怒られると堪えるのか、イワーヌシカはクルクスの言葉に息を詰まらせていた。
「あ、そうだ、有望そうな子達はどうでした?」
「ってぇと……名前なんだっけ、五大貴族の?」
「とか、レヘヴェー家の子とか、あと教頭ご推薦の子ですね」
つまりエトワール、リギル、スピカの事だ。うち二人はメフィストフェレウスの受け持ちである。
「そうですね、五大貴族の……エトワールは正直なところ、現時点だと期待はずれですね」
「へー、有能優秀なシュヴァルト家の子なのにですか?」
「シュヴァルト家だから、ですね。才能はありますけど、それに溺れて驕っている上に、自覚がありません。どっかで鼻っ柱を折られてからが勝負ですね」
「ほうほう」
なまじ才能があって、何でも「やれば出来る」がゆえの驕りだろう。あれでは壁にあたった事もあるまい。挫折する可能性にすら触れずにここまで育ったのだとしたら、保護者は何をしていたのかと問いただしたい気分だ。いったい何を目的に学園に入学したのかも聞きたい。もし「何となく」や「いけそうだったから」という理由であれば、今すぐ家に帰った方がお互いのためになるだろう。
「教頭推薦の方は、スピカですね。まあよく推薦通ったなって感じですよ。ライトの魔法も知らない生徒は初めて見ました」
「……それマジ?」
「大マジ。あと多分だけど、聖言も習得してるんじゃないか?」
「ふぇー、うちに入る年で聖言使えるレベルの神官ですか? それはビックリです」
神の威を借り、奇跡を起こす技である聖言。その習得は長きに渡る祈りと修行によって得られる、とメフィストフェレウスは聞いている。スピカほどの若さで聖言を扱える者は少ないとも。聖言を習得しているというのは、推測だが、ほぼ間違いないだろうとメフィストフェレウスは考えていた。
「ま、知らないだけで教えたらすぐライトの魔法使えましたよ。爆発させてましたけど、それはマナの扱いに慣れてないだけでしょう。素直に話を聞く分、やりやすいしすぐ伸びるんじゃないかと思いますよ」
失敗する事は悪いことではない。簡単なライトの魔法を失敗してしまったのは、マナの扱いに慣れていないだけで、才能がないという事ではない。単純なキャパシティで言えばエトワールよりもスピカの方が大きいとも見ている。他の生徒のようにプライドが邪魔をしない分、二学期に入る頃には大きく化けるのではないかと思っていた。
「ふぅん、それは成長が楽しみですね! レヘヴェーの子はどうですか?」
「確かイワンのクラスだよな」
「そうだな。っても現状取り立てて言う事もありませんよ。こっちの授業をすごくよく聞いてるってぐらいっすね」
「へぇ? レヘヴェーの子なら基礎ぐらい余裕でしょうに」
クルクスの言う通り、リギルがこんな基礎の段階でも授業をよく聞くというのは、意外な事だった。レヘヴェー家は魔具を発明した一家、現代でも魔法使いの家系として、業界では有名だ。そんな家に生まれ育ったリギルが基礎を習得していないわけがない。なのにきちんと聞いている。
「基礎を疎かにしないタイプか。好感が持てるな」
「内心どう思ってるかは分からねぇけどな。ありゃお前と同じで猫かぶり上手いタイプだぞ」
「猫なんて被ってないだろ」
「被ってるだろ」
正直な感想を述べれば、何故かイワーヌシカに猫被りだと言われた。本音と建て前の使い分けが上手いと言ってほしい。ともかく、リギルが「装える」タイプだとすれば、それはそれで好ましい事だった。優秀な魔法使いは、どうにも社会不適合者が多い。こんな人物を社会に放流してはならないと、プレアデス魔法学園の教師として繋ぎ止める事も珍しくなかった。
「あ、イワンさん、メフィストさん、それにクルクスさんも」
「フロル君。見回りですか?」
「はい。教師になったはいいですけど、初年だし一学期だしで授業も回してもらってないですからねー」
唇を尖らせてぷすぷすと不満を隠さない少年は、去年プレアデス魔法学園を卒業し、そのまま教師になったフロルだ。そして「社会に放流してはならない」人物の一人だったりもする。この少年ときたら、才能はあるわ努力は出来るわ過信はしないわ、魔法使いとしてとんでもなく優秀なのだ。芸術と魔法の神ムジカの愛し子なんて呼ばれていた事もあった。
一方で自分がどれだけとんでもない人物なのかを理解していない。息をするように魔法を使い、天から星を落とせるほどの実力を持つというのに、自分は無害だと信じ切っているのだ。無意味に魔法を使わない、無闇に力をひけらかさないという信念からきている思いこみなのだろうが、周りからすれば「お前のような無害がいてたまるか」である。
だから長期間に渡り、様々な人物が説得を繰り返し、何とか教師として首輪をかけた。フロルがその気になれば完全に無視出来るものだが、現状彼は自分の立場を気に入っているようである。
「そうそう、さっき面白い物見ましたよー」
「面白い物?」
「新入生の子ですかね? 呪文も使わず、空を飛んでました。びっくりしましたよー。天才的、いえ、野性的ですか。本能だけで魔術……じゃなかった、魔法を使っていたように見えました」
「へぇ」
魔法の基本はマナを動かすことだが、これを生まれつき行える人間はほとんどいない。先達から教えられて初めて、ほんの小規模なところから出来るようになる。無意識にマナを扱えるようになるには相当の訓練が必要だ。フロル以外にもそんな希有な人物がいるのかと感心する。
「お前は違うのか、魔法人」
「僕はちゃんと体系的に学習しましたー! 人を未開人みたいに言わないでくださーい!」
メフィストフェレウスが黙っていた事を口に出して、イワーヌシカがフロルをつつく。するとフロルは両手をバタバタと動かして遺憾の意を示した。フロルがいくら優秀な魔法使いでも、中身はまだまだ子供だった。
「ふふふー、二人は仲がいいですねー」
じゃれあう二人を見てクルクスが笑う。ニコニコというよりはニヤニヤといった風で、メフィストフェレウスは何も見ていないとコーヒーを飲んだ。
「既存の知識に当てはめて生来のセンスが失われないといいんですけどね」
「そうですねー。フロル君みたいな子ってホントのホントに珍しいですもんね」
もってうまれたセンスが、知識を得ることによって失われるケースもまた多い。両方を維持出来るのは本当にまれだ。フロルがいかに特異的な存在かよく分かる。
そしてエトワールは、おそらく理論ずくでしか理解出来ないタイプだし、他人にそれを押しつけてしまうタイプだろう。若いくせに老人ばりに頭がかたそうだ。スピカに呪文を教えるよう促したが、彼によってスピカのセンスが潰されなければいいのだが。
もっとも、スピカのために言いつけたわけではなかった。未熟な生徒を押しつけた形になったが、あれはエトワールのために言いつけた部分が多い。教育は教えられる側だけでなく、教える側も多くを学ぶ。スピカに教える過程で、エトワールが自身に足りないものに気付くといいのだが。
「ちぃっす」
「あ、シャート先生」
思いを馳せていると、喫茶室に新たに人がやってきた。新学期の初授業だというのに、のびきったジャージを着たシャートだ。眠そうにあくびをした彼は、喫茶室の一同を見回して首を傾げた。
「生徒側の魔具の装着数に制限ってあったか?」
「魔具? なかったはずですけど……」
シャートの質問に眉をひそめる。生徒の魔具の装着、装備に制限は設けられていない。生徒の自主性を重視しているというよりは、魔具そのものの問題だった。
魔具、あるいは魔道具とは、魔法を簡単に使えるようにした道具を指す。簡単な詠唱一つで複雑で大規模な魔法も起こせる、便利なアイテムだ。レヘヴェー家によって提案されたこれらは、その便利さに反して世間一般に浸透しているとは言い難かった。
魔具の作成には魔結晶を作らなければならない。複雑で大規模なものになればなるほど大きな魔結晶が必要だ。これが、時間がかかる上に大きなものを作るのが大変なのだ。
また魔具の作成はやり直しがきかない。通常の詠唱よりもずっと気をつけて、理論的に呪文を構築しなければならない上に、それを魔結晶に書き込んでいく作業がある。一字でもミスをすれば魔法は無意味になり、折角作った魔結晶も無駄になってしまう。
そういった作成の手間と難易度から、魔具は流通量も少なければ大変高く、上流階級の一部の人間が持つ程度になっていた。生徒が買うものでも、作るものでもないわけで、装着数の制限を付ける前に魔具を持っている生徒がまず皆無なのだ。
「さっきすれ違った新入生が山のように魔具つけてた気がしてな」
「へー、どんな人ですか?」
「赤毛で赤目の……どっかで見た顔だったな」
「説明になってないじゃねーっすか」
「もっと細かい特徴ないんですかー?」
赤毛も赤目もそう珍しい特徴ではない。全く説明になっていない説明に、イワーヌシカとフロルが揃って辟易とした顔を浮かべる。
「あ、もしかしてあの子じゃないですか? ほら、レヘヴェーの」
「あー、そういやレヘヴェーは赤髪赤目の家系だったか?」
ところがクルクスはその説明で思い当たったらしく、候補を出してきた。言われてみれば、リギルは赤髪赤目で、魔具作成の第一人者であるレヘヴェー家の息子である。シャートが言った特徴に一致しているように思えた。
「イワン、お前見て気付かなかったのか?」
「無茶言うな。魔道具専門じゃねぇんだぞ、俺は」
「ま、だよな」
担任であるイワーヌシカに話を振れば、呆れたように肩をすくめられた。分かっていた回答だ。魔具の核となる魔結晶は、ただの透明なガラス球か宝石にしか見えない。アクセサリーとして加工されていればなおのことだ。専門でもないイワーヌシカに見分けろと言っても無理な話である。
「じゃ、私が見てきますよ! 魔具担当として気になりますし!」
ウキウキとした様子で手を組み、クルクスはスキップでもしそうな勢いで喫茶室を出ていった。他の授業も教えているが、彼女は魔具を専門としている。やはり担当として気になるのだろう。
「それにしても」
クルクスがいなくなって何となく沈黙が続いていた喫茶室で、ぽつりとフロルが呟く。
「学生が魔具をいっぱいつけてるなんて、何が目的なんでしょうねー?」
「……さあ?」
確かに、魔具なんて本来護身用に一つ二つあれば十分で、戦闘を専門とする魔法使いでもそう多くは身につけない。フロルの疑問はもっともだったが、問いに答えられる者は誰もいなかった。
鼻歌を歌いながら、クルクスは廊下を歩いていた。初日の授業が終わった解放感からか、それとも探検に行っているのか、校内に残っている生徒はほとんどいない。そちらの方が都合がいいと、教室の一つに入った。
「えーと……あったあった」
廊下側の壁の、真ん中に作られた柱に寄る。クルクスは眼鏡をかけてから、柱に這わされた金色のワイヤーに触れ、早口かつ小声で呪文を唱えた。
ほとんどの生徒はこのワイヤーをただの装飾だと思っているだろう。装飾目的でもあるのだが、実際は違う。これは学園内に張り巡らされている、監視用の魔具を繋ぐネットワークなのだ。
クルクスは学園初の魔具の専門家で、その実力はおそらくアリイェメレク帝国随一だ。彼女が教師として就任して最初に命じられた仕事が、学園内を監視するネットワークの構築だった。
大抵の生徒は育ちの良さから、悪さなんて考えようともしない者ばかりなのだが、たまに根っからの悪者や、自分の実力を勘違いした馬鹿が出てくる。そうでなくとも無知からとんでもないことをやらかす生徒が毎年一人か二人いた。
そういったものの察知のために、学園は長い事、監視用の魔具を求めていた。しかし小規模ならともかく、大規模な魔具の作成、それも複数の魔具を組み合わせて実用化出来る者は今まで誰もいなかったのだ。
「……うん、この子かな」
魔具を通じて学園内のマナの流れを読んだクルクスは、いくつかの大きなマナに目星をつけて柱から手を離した。長く付き合っているシャートや、普段から親しくしている教師などなら誰か判別出来るが、顔も知らない新入生のマナなんて分かるはずがない。レヘヴェー家の子ならきっと本人が持つマナも大きいだろうと考え、校舎内を歩く。
渡り廊下を通り、校舎から出てしばらく、図書館に着いた。帝都の大図書館には及ばないが、プレアデス魔法学園の図書館は古く大きなものだ。魔法関連の所蔵ならば大図書館に負けずとも劣らない量と質だろう。
中に入れば、静謐な空間に古い本のにおいが満たされていた。生徒の姿は数えられる程度にしかない。年度始めなんてこんなものだ。試験前にならなければ賑わいはなかなか見られない。こんな早い時期から図書館に来るなんて勉強熱心な子達だなー、と感心した。
奥へと進む。しばらく進んで本棚の間からそっとうかがえば、奥まった読書スペースに赤毛の少年が座っていた。真剣な顔で本を読むかたわらには、分厚い本が何冊も積まれている。一年生用の色のネクタイをしめている事から、彼がリギルで間違いないだろう。
クルクスは懐から眼鏡を取り出した。度は入っていない、いわゆる伊達眼鏡で、魔結晶をレンズ状に仕立てた魔具だ。他の魔具が使用するマナの詳細を見ることが出来る。多種多様な魔具を開発するクルクスにとって、なくてはならないアイテムである。――同じ物を作れと言われても困る、偶然の産物でもあるが。
どれどれ、と早速眼鏡をかけ、リギルを見る。レンズに映し出される情報に寄れば、確かにリギルは魔具を装着していた。シャートの言っていた「山のように」という形容詞はあてはまらないが、少なくとも四、五個は身につけているようだ。気付かれないのをいいことにじーっとリギルを見分していたクルクスだったが、徐々に眉間のしわを深くする。
身につけている魔具は全て自作か、あるいは親に用意してもらったのか。そんな事を考えていたのだが、どうも違和感がある。護身の範囲ではないような、「余計」な機能があるような――
「――あ。ああああ!?」」
「っ!?」
なんということだろう、どうして彼がそれを知っているのだろう。違和感の原因に気付いたクルクスは、ここが静寂を尊ぶ図書館である事も忘れ、叫んでいた。
「貴方、なんて魔法を使っているんですか!?」
「へ? え?」
「ああもう――スタットコールパワーエンデ!」
「うわっ!?」
リギルの腕をわっしと掴み、引っ張る。女の細腕では若い男子はすぐに動かなかったが、自身の身体能力を強化する魔法を呼び出し、無理矢理引きずっていく。
「ちょ、何の用ですか!?」
「いいからついてきなさい!」
こんなところで出来る話ではない。怪訝そうな目で見てくる他の教師や生徒の前を横切り、クルクスは喫茶室までリギルを引っ張っていった。
「お帰り。……なんだ逢い引きか? どっか行くか?」
「違います! からかわないでください!」
ふざけた事を言うシャートに口を尖らせる。戻ってきた喫茶室にはシャートだけしかいなかった。他の面々は仕事などで移動したのだろう。出来ればリギルの担任であるイワーヌシカにはいてほしかったが、仕方ない。
「で、血相変えてどうしたんだ?」
扉を閉めて鍵をかけながら子細を尋ねるシャート。面倒くさがりでサボリ屋な気質のある彼だが、こういう時は長い付き合いからすぐ察してくれるのでありがたい。「普段もこうならかっこいいんだけどなー」と思いながら、リギルを椅子に座らせた。
「あの、いったい何なんですか? 俺、本を読んでいただけで……」
「心魔法です」
「ほう」
わけが分からない様子で抗議するリギルを遮り、簡潔に要点を伝える。シャートは目を細めてリギルの顔をマジマジと眺めた。
「こいつが心魔法をねぇ」
「ええ、ビックリしました。まさか学園外に使い手がいるなんて」
「えっと、何の話ですか? 心魔法なんて……」
「しらばっくれてもダメです。多分ピアス両方ともそうですよね?」
「ちょ、まっ!?」
右のピアスを指で摘んで引っ張るとリギルは明らかに慌てた。「やっぱりそうだ」と表情を険しくするクルクスに、シャートから「そりゃ怯えるだろ」と小声でつっこみが入る。それに反応するとまたシャートにいじられるので聞かなかった事にして、ピアスを離した。
「心魔法なんて俺、知りませんよ。勘違いじゃないですか?」
「いーえ、そんな嘘通じません。うまく誤魔化してるみたいですけど、魔具に関しては私の右に出る魔法使いなんていないんですから」
なおもしらばっくれようとするリギルを睨みつける。眼鏡に映る情報とクルクスの知識を照らし合わせれば明白な事だ。
「平常時でも人間はマナを微量ながら放出、吸収している。その変化から相手の心を読み、操る事が出来る……んだったか」
「ええ、その通りです。その特異性から心魔法は禁忌とされ、今に至るまで秘匿されてきた。存在すら一般には知られていません。それを何で新入生の貴方が使っているんですか?」
「いや、だから……」
「心魔法知ってる教師に見つかるなんてめんどくさい事になったなぁ、適当に言い訳して逃げられっかな……」
「え」
「こいつ今なんて、俺の心を読んだのか? 子供っぽいのに……って童顔は生まれつきだから仕方ないじゃないですか!?」
「どーどー」
クルクスをシャートがなだめる。もう三十路も近いのだが、童顔で年相応の落ち着きが身につかないことを気にしているクルクスは、子供っぽいと言われるとつい反応してしまうのだ。これではフロルの事を笑えないと、深呼吸を一つして、改めて椅子に座らされているリギルを見下ろす。
「繊細な魔法だから使えるのは自分だけだと思ってましたね? 残念ながら私も習得しています」
「っ……」
ようやくどうあがいても逃れられない事を理解したのか、困惑するばかりだったリギルの顔が歪む。イワーヌシカが「猫かぶり上手いタイプ」と評していたが、なるほどその通りらしい。
「何なら無理矢理口を割らせてあげてもいいんですよ?」
「まあまあ、クルクス」
「何ですかシャートさん。事は一大事ですよ、一大事」
なだめてくるシャートを睨む。心魔法がどれだけ特異性が高く、危険なものか、シャートもよく分かっているだろうに、何故止めるのか。シャートは至って平然と言葉を続けた。
「お前も昔はそうだったじゃないか。なあ、黒薔薇の魔女」
「にっ、そ、その呼び方は止めてください!? もう何年前だと思ってるんですか!」
懐かしすぎる、忘れたい二つ名にクルクスは慌てた。
「黒薔薇の魔女……?」
「むかーしむかし、田舎の村にたいそう頭のいい子がおりました。その子は独学で魔法を勉強し、とうとう人の心を読む手段まで覚えました。とてもすごい魔法使いに成ったその子は、自らを『黒薔薇の魔女』と自称し始めたのです」
「わー! わー! ちょっとシャートさんー!?」
隠しておきたい人の過去をあっさりバラすシャートの口を塞ごうとするが、身体能力を強化する魔法はもう切れていたのか、あっさり抱え込まれてしまった。
そう、クルクスは昔、神童と称されるほど頭がよく飲み込みが早い、そして好奇心の旺盛な子供だった。幸いにも田舎だというのに村には多量の蔵書があり、また親や村長もクルクスのために多くの書物を取り寄せてくれた。
たくさんの本を読んだクルクスの興味をもっとも惹いたのが魔法だった。浴びるように本を読み、研究を重ねたクルクスは魔具の作成に没頭し、その果てに心魔法を会得した。「私はなんてすごいんだろう!」と思い上がったクルクスは、「黒薔薇の魔女」と自称し始めたのだ。
何とも調子に乗っていた子供だった。当時の事を思い出すと穴に入って埋まりたくなる。正しく黒歴史だというのに、シャートは全部知っていて、こうしてバラしてくる事がある。どうしてこんなにいじわるなんだろうと、喉の奥で唸った。
「お前も調子乗ってヤンチャしてたんだから、こいつの事責められないだろ」
「……別に心魔法は調子乗ってたからじゃないですし……」
「ん?」
「何でもないです! でもどうするんですか? 人の昔を引き合いに出して見逃せって言われても、それはそれこれはこれですよ?」
クルクスの過去は過去、今のリギルとは関係のないことだ。昔クルクスが同じ事をしていたからといって、リギルを見逃す理由にはならない。どうするつもりなのかとシャートに問えば、彼は表情を変えず、手をリギルに突き出した。
「いくら優秀で早熟でも、魔具なしで心魔法を維持するのはきついだろ。だから心魔法の魔具は没収。で、あと教頭学園長担任辺りに周知。この辺りだろ」
「おお、シャートさんがまともな事言ってる……」
「たまにゃ俺も働く」
「いつも働いてくださいよー、もー」
怠け癖がある幼なじみに口を尖らせて、改めてリギルを見る。リギルは不服そうな顔をしていたが、二人の教師に見られて、観念したようにため息をついた。
「分かった、分かりましたよ。渡せばいいんでしょ」
「うん、物分かりがよくて助かる」
渋々ながら、リギルは両耳のピアスを外して、シャートに渡した。クルクスの見立てでは他の魔具は心魔法には関係していないから、これだけで大丈夫だろう。予備があるなら使った時に取り上げるだけだ。
「俺も入学早々、退学とか嫌ですし」
「退学で済むならいいな。下手すれば幽閉物だぞ」
「げっ、そこまでですか?」
「そこまでですよ。心魔法は本当、数ある魔法の中でも危険なものなんですから」
周囲からしてもそうだが、行使している本人にも危険なのだ。かつて濫用してしまったクルクスはそれをよく分かっているし、シャートも十分に承知している。しかしリギルは納得行かない様子で、辟易とした顔を浮かべていた。
「……もういいですよね? 俺、本の続き読みたいんですけど」
「はい、いいですよ。ヤケになって騒ぎを起こしちゃダメですよ?」
「そんなことしませんよ。……ったく……」
不満げな表情のまま、リギルは喫茶室を出ていった。しばらく沈黙が続いて、ハッとなってシャートを見上げる。
「あのちょっと、そろそろ離してくれませんか?」
「ん? ああ悪い、昔の癖でなー」
「もー……」
未だにシャートに抱え込まれたままだった事に気付き、訴えれば、すぐに解放された。昔は確かにシャートに抱き抱えられるのが当たり前だったが、それはお互いに幼かった頃の話だ。その気もないのに、と口を尖らせる。
「それよりこれ、お前が持ってた方がいいだろ」
「ああ、はい、そうですね。どうせ学園長も私に預けるでしょうし」
ピアスを受け取って光にかざす。綺麗な八面体の魔結晶に器具をつけただけの、シンプルな装飾品だ。中の呪文が気になるが、部屋に戻らねば無理だ。
「それにしても、どこで覚えたのかはともかく、何で心魔法使ってたんだかな」
「……さあ? でもそうですね、生徒や教師の心読んだって仕方ないでしょうに」
相手のご機嫌を伺えばおべっかを使うには役に立つだろうし、クーデターのための賛同者を集めるにも使えるかもしれない。が、そんな事をするタイプには見えなかった。
「そこら辺元魔女としてわかんないのか?」
「だからその呼び方は止めてください! それに昔の事すぎて忘れました!」
また魔女呼びをしてくるシャートに頬を膨らませる。クルクスが心魔法を習得した理由は、どうしても心を読みたい人がいたからなのだが、その相手が何にも考えていなさすぎて全く役に立たなかった。そんな事情教えてやるもんかとクルクスはそっぽを向いた。
閉館前に貸し出しの手続きを終えて、リギルは図書館を出た。寮への道を歩きながら、軽くなった耳たぶに触れる。
レヘヴェーに連なる者でないのに魔具に長けている教師がいるとは父親から聞いていたが、心魔法まで修めているとは思わなかった。二日目から心魔法の使い手だとバレたのはよろしくない。在学中は無害な少年で通すつもりだったのに、とため息をつく。
魔具がなくとも心魔法を使えるが、あのシャートと呼ばれていた教師の言っていた通り、魔具なしでの心魔法の維持は厳しい。もっと言えば、詠唱なしで心魔法を行使する事も、クルクスと呼ばれた教師のように正確に相手の心を読む事も、今のリギルには難しかった。
心魔法は人間が放出、吸収している微量なマナの変化を読みとり、そこから心を読む。言うのは簡単だが、難しく神経を使うもので、相当マナの扱いに通じていなければ、たとえ理屈を知っていても扱う事は出来ない。リギルはレヘヴェー家の次期当主として幼い頃から修練を積んでいるが、魔具の補助がなければふんわりとした感情の動きしか分からない。
まあ何故心魔法を使っていたのかと言えば、単に覚えたから慣れておきたいだけだった。いずれ社交界に出た際に、心魔法は大きな力になるだろう。未来に備えて訓練をしたかっただけだった。
「……ま、仕方ないっちゃ仕方ないか……」
不運だったと諦めるしかない。他の魔具は取り上げられなかったし、実力に関しても一部教師への周知で済むようだし、他の生徒に対しては猫を被ったままでいればいいだろう。
「ただいまー」
部屋に着き、平常通りの声で帰還を告げても、先に帰ってきていた同室の相手からは、ちらりと視線を向けられただけだった。
「おかえりぐらい言ってくれてもいいんじゃねぇの?」
やはり返事はない。エトワールは読んでいた本に視線を戻しただけだった。喧嘩を売ったのはこちらだが、愛想がなければ装うことも出来ないエトワールに肩をすくめる。
「……お前、ピアスどうしたんだ?」
「ん?」
借りてきた本を机の上に出していると、そんな事を聞かれた。他人に興味がないくせに、めざとく気付いたらしい。
「ああ、おしゃれ怒られてさ。先生に没収されちまった」
「ふぅん」
「制服改造も駄目なんだからピアスぐらい許してほしいよなー」
「そうだな」
そして「何故ないのか」以上の興味はないらしく、生返事が返ってくる。会話を発展させて交友する気がないエトワールにため息をついて、椅子に座った。
きっと取り上げられたピアスもただの装飾品としか思っていないのだろう。昨日今日と観察し、少し心を読んで分かったことだが、エトワールは周りに興味がない。他人は自分を色眼鏡で見てくるうざったい存在程度にしか考えていないのだ。
それは学園や魔法に対しても同様のようだった。与えられる課題をやりはするがそれだけ、そこから何かを学ぼうだとか、自分から積極的に挑んでいこうだとか、そういう気概が感じられない。もちろんまだ出会って二日だ。初めての授業があまりに簡単なもので拍子抜けした可能性もある。エトワールの全てを見切ったとするには早すぎるが――
(こいつ、何しに学園にきたんだ?)
向上心もなく、交流する気もなく、醒めた目で話も聞かない。それなのに何故、世界最高峰の学び舎にきたのか。眉をひそめて、リギルは借りてきた本を開いた。