Twinkle Star!

2 スタートラインの差

 入学式の翌日から授業は始まった。自己紹介を兼ねたレクリエーションだとか、カリキュラムの説明もない。荷物の中に入っていた一学期用の教科書を机の上に、教室の中は初めての授業という事で、まだ浮き足だった様子だった。
「うん、皆いるな。ホームルームからの短時間でどこかに行かれても困るが」
 授業開始を告げる鐘の音が終わってから、メフィストフェレウスは教室内を見回して頷いた。生徒達のまっさらな物とは違い、使い込まれた教科書の最初の数ページを広げて、教卓の上に置く。
「さて、予告した通り、最初の内は初等教育でもやった事を復習していく。退屈だからって寝るなよ。学期末にはちゃんとテストもあるからな」
 えー、と生徒達からブーイングが起きる。おきまりの反応というやつだ。ノリがいい十数名の生徒の反応に頷いて、メフィストフェレウスはチョークを手に取った。
「魔法とは体内のマナを起爆剤として、世界に満ちるマナを操作する技術の事だ。マナを動かすにはイメージが必要だが、何の補助具もなしにイメージそのままマナを動かす事は至難の技だ。そこで補助として用いられるのが呪文だな」
 小気味のいい音を立てて、要点が黒板に書き込まれていく。呪文については、一覧表の載っているページが書かれた。
「マナをどのくらい、どう動かすかの明言を行う事により、操作イメージを明確な物にする。この学園の教師でも呪文なしで魔法を使うのは難しい。お前達はなおさらだ。初等教育の始めに暗記させられたと思うが、改めて暗記テストをやるからな、覚悟しておけ」
 本当に初歩の初歩の内容に、生徒達の反応は様々だった。素直に感心する者もいるし、退屈そうに聞く者もいるし、とりあえずノートをとる者もいる。エトワールはといえば、分かっているからとメフィストフェレウスの話を聞き流し、教科書をパラパラとめくっていた。
 ざっと眺めた感想は「こんなものか」だった。やはり一学期の内容に期待は出来ないらしい。基礎が重要と言っても、ここに入るのだから、初等教育の内容は問題ないはずだ。こんな初歩中の初歩、飛ばしてしまえばいいのに。
 何となく窓の方を見れば、スピカはメフィストフェレウスの話を聞いているようだった。真面目だなと感心したのも一瞬、その目はぼうっとして話に集中しているようには見えない。ただ聞いているだけで、理解していない――そんな風に見えた。
「はい、それじゃ一回やるぞ。カーテン閉めろ」
 不可解な様子に眉をひそめたエトワールの耳に、メフィストフェレウスが手を叩く音が入る。指示をされて窓際の生徒達がカーテンをしめていく。スピカもそれはちゃんと分かったのか、やや遅れながらも緑色のカーテンで窓を覆った。日中とはいえ、窓を全て覆うと教室内は薄暗くなる。
「ライトの呪文は覚えているか? スタット、モノトワトリルオープ、エンデ。いくつかの点が開いて拡散するイメージだな。はい、続けて」
 ややばらけて、教室中からライトの呪文が唱えられる。すると各自の机の上に小さな光球が現れた。エトワールも早口かつ小声で呪文を唱え、指の先に明かりを出す。一番最初に習う、無害で簡単で利のある魔法だ。数分程度で消えるが、これが地味に便利で、人生で一番使う魔法だとも言われている。特に夜中急に起きたとか、窓のない倉庫にちょっと入るとか、そういう時に便利なのだ。
「うん、皆出来て……スピカ?」
 生徒の実技を眺めていたメフィストフェレウスだが、スピカの名を呼んだ。何事かと他の生徒と同じように、エトワールも隣の席を見る。名指しされてきょとんと目を丸くするスピカの前には、光の球はなかった。
「はぁい?」
「皆やるんだ。はい、スタット、モノトワトリルオープ、エンデ」
「……? すたっと、ものとわとりるおーぷ、えんで?」
 一音ずつはっきりと発音するメフィストフェレウスを真似て、ライトの呪文を唱えるスピカ。しかし光球は出現せず、他に何か起こる事もない。メフィストフェレウスは「ふむ」と手を顎に当てると、スピカの席の前まで出てきた。
「……これって聖言(せいごん)ですか?」
「本質は同じだな。呪文を学ぶのは初めてか?」
「はい」
 素直に頷くスピカに対し、教室中が静かに、しかしはっきりとどよめいた。「マジよ」「え、何でここにいるの?」など様々な小声の会話が波のように起こる。エトワールも心境は同じだった。魔法使いを志す者ならば誰もが入りたがる一流の場に、基礎も知らないような人物がいるなんて信じられない。
「そうか。……呪文というのは、先ほども言った通り、魔法を使う際のイメージの補助となるものだ。対照表は……開いているな。書いてあるだろう?」
 しかしメフィストフェレウスは笑う事なく、丁寧に教えていく。スピカも周りのざわめきなど聞こえないように、教科書に目を落とした。
「ものとわ……点が、二個と三個?」
「そうだ。スタットで始めて、エンデで発動する。ライトはモノ、トワトリル、オープ、とマナを動かすと、光が生まれる魔法だ」
 メフィストフェレウスの指先が動くと、紫色の点が二個生まれ、数センチ下にさらに三つ点が生まれ、開いて消えていく。スピカはもとより、エトワールもその幻影に驚いた。簡単な幻影の魔法だが、ああして鮮やかに行使出来る者は初めて見た。
「分かったか?」
「はい、何となく」
「じゃあもう一回やってみよう」
「はい! えーっと……」
 教科書の対照表を見て、先ほどの幻影を思い返すように口の中で何かを呟いて、スピカは机の上に手を出した。
「スタットモノトワトリルオープエンデ」
 よどみなく唱えられた呪文。格好だけならば一人前の魔法使いの前に、小さな光の球が現れる。成功かと思われたそれは、しかし大きな音を立てて弾けた。
「ひにゃ!?」
「あー……」
 その様子に、見ていた生徒達がぷっと吹き出し、あるいはクスクスと肩を震わせる。エトワールも表情にこそ出さなかったが、呆れてしまっていた。ライトは簡単な魔法で、失敗する事は初心者でもほとんどない。それを失敗するなんて、どんな初心者だという話だ。一方メフィストフェレウスは、苦笑こそすれ、スピカの頭をぽむぽむと撫でた。
「ま、初めてでこれなら上出来だな」
「うう……そうですか?」
「ああ。君なら特に」
 何故今のでそう肯定的な捉え方が出来るのか。「君なら特に」とはどういう意味なのか。どう見ても落ちこぼれであるスピカに対する特別扱いに眉をひそめるエトワールに、メフィストフェレウスは視線を向けた。
「じゃあ、余裕そうなエトワールに呪文の事は聞いてくれ」
「は?」
 突然話を振られて、しかも落ちこぼれを押しつけられて、エトワールは低い声を出していた。脅しでしかないそれをメフィストフェレウスはそよ風のように流して、「それでも分からなかったら俺のところに来なさい」と続ける。了承していないエトワールとは対照的に、スピカはこくこくと素直に頷いていた。
 座りっぱなしの一日が終わる。ほとんどの生徒にとって聞く意味のない基礎の復習は、エトワールにとっても退屈なものだった。そしてそんな一日で分かったのが、隣の席のこの緑髪の少女は、とんでもない無知だという事だった。
 呪文に始まって、あらゆる基礎知識を知らない。そんな人物が同じクラスに存在するなんて驚愕の事実だ。他のクラスメイトもすっかりスピカを「コネか何かで入学した無知な無茶者」と認識している。そう見られている事に当の本人は気付いていないらしく、のんきな顔で授業を受けていたが。
 正直なところ、初歩的な知識もない相手に構うつもりはない。一学期の授業が暇で価値がないものだと分かったが、だからといって無知な相手に教師の真似事なんてして、自分の時間を減らす意味があるとは思えなかった。
 スピカに捕まる前に、と席を立ち上がり、鞄を持って教室の外に出る。部屋に戻ろうとしたエトワールは、しかし別の人物に行く手を遮られた。
「よう、エトワール」
 ちょうど教室の扉を出たすぐ横の廊下に背を預け、リギルがエトワールに声をかけてきた。面倒くさいことに、今のリギルは無視出来る存在ではなかった。エトワールに対して敵意を持っていると分かった以上、たとえ笑顔でも、安易に背を向けて不意打ちを食らうわけにはいかない。仕方なく立ち止まって、「無駄な時間をとらせるな」と睨む。
「何の用だ」
「初授業の感想聞こう思って」
「そんなの今じゃなくていいだろ」
 認めがたい事実だが、どうせ同じ部屋なのだ。いくら避けても消灯時間には同じ部屋にいるのだ。わざわざ今誘う意味がない。突っぱねると、リギルは子供っぽい仕草で口を尖らせた。
「えー、情緒がねぇの。ついでに食堂行こうぜ食堂。この時間は酒出るって言うし」
「こんな真っ昼間から飲むのか」
「そりゃあ酒はかつては百薬の長、不老不死の妙薬とされていたんだぜ? それにどうせ山のように飲まされるんだから、今の内から鍛えておいた方がいいだろ」
「どんな人外魔境に行くんだよ」
「人外魔境って……まあ、大して変わらねぇけどさ」
 酒類の接種に制限を受ける年齢ではないが、アルコールが争乱の原因となる事はエトワールも知っている。そんなものを当たり前に、大量に飲まされる環境なんてろくでもないものに違いない。やや蔑んだ目を向けたエトワールに、リギルは何故か不機嫌な面もちになった。その変化の理由が分からず、眉をひそめていると、くいっと制服の裾が引かれた。
「エトワール」
「……お前は何だよ」
 裾を引っ張ってきたのはスピカだった。彼女を避けるために早く出ようとしたのに、リギルに捕まったせいで失敗してしまった。仕方なく用件を聞くと、スピカは不思議そうに首を傾げた。
「先生がエトワールに呪文聞けって」
「そうか。俺は教えるつもりないから」
「何で?」
「何でって、あいつが勝手に言った事だろ」
「でも先生がエトワールに聞けって」
「……お前、俺の話聞いてたか?」
 元々メフィストフェレウスが勝手に言っただけで、拘束力は何もない。だからエトワールに受ける理由はないはずだが、全く同じ台詞を繰り返されて閉口する。この小さな頭の中は実は空っぽで考える機能がないのではと危惧さえしてしまう。
「何、エトワール補修頼まれたのか?」
「うちの担任が勝手に言っただけだ。俺は一言もいいと言ってない」
「えー、でも先生が……」
「だから話を聞いてたか? あいつが言ってても、俺がお前に教える理由にはならないんだよ」
 無駄な時間を過ごすつもりはない。はっきり言うと、「そっか」とスピカは肩を落とした。しょんぼりした様子に、少しきつかったかとわずかな罪悪感を覚えていると、リギルがずいっと身を乗り出してきた。
「なるほど、エトワールは教える自信がないから受けたくないと」
「……は? 誰がいつそんな話をしたんだ」
 罪悪感はどこへやら、馬鹿にしてきたリギルを睨みつける。罵詈雑言に付き合う気はないが、エトワール自身の能力を侮る発言となれば別だ。リギルはそんなエトワールの反応にニヤリと笑って、わざとらしく肩をすくめた。
「だってそうだろ? 人に教えるのを嫌がるなんて、教えられないから以外考えられないじゃん」
「そんなわけないだろ。俺は時間を無駄にしたくないだけで……」
「どうせ予習する事もないし、切羽詰まった事情もないのにか? 暇なら付き合ってやればいいだろ」
「馬鹿に付き合う必要はないだろ」
 先ほどのやりとりで無知なだけでなく、思考レベルも低いと分かった。たまに話す分には面白いかもしれないが、エトワールが手間をかける意味がある相手とは思えない。スピカははっきり馬鹿と言われた事さえ分かっていないのか、きょとんとしていたが、リギルは「ふぅん」と目を細めた。
「そうやって逃げんのか」
「……あ?」
「ま、エトワール様にしてみたら? 下々の者と付き合う事も? 結果自分の無知が露呈する事も嫌なんでしょうけど?」
「――誰がそう言った。クラスメイトの勉強ぐらい、完璧に教えられるってぇの」
「じゃあ教えてくれるんだね!」
 リギルの挑発にカッとなってまくしたてる。すると、頭の中は空っぽで話のひとかけらも理解していないように見えるのに、スピカがここぞとばかりに割り込んできた。教える時間をとられたくないのは変わらないが、ここで引けばリギルにまた煽られるだけだろう。眉を寄せていたエトワールだが、ため息をついてかぶりを振った。
「……っそ、分かったよ、教えるよ」
「わーい、ありがとうエトワール!」
 仕方なく引き受けたエトワールに対し、スピカは満面の笑みでぴょこぴょこ跳ねて全身で喜びを表現する。小動物のような動きに、エトワールはついその様子を眺めてしまった。
 こういったタイプはあまり見たことがない。初等教育の範囲を家庭教師で済ませたエトワールは、同学年の子供と接する機会が大会程度しかなかったし、下に二人いる弟も騒がしいタイプではない。強いて言えば上から二番目の兄が言動含めて近いタイプなのだろうが、年上と同い年では見え方が違うものだ。
「じゃ、酒はまた今度な」
「あ? ……ああ」
 それで気が済んだのか、リギルは去っていった。何がしたかったんだと眉をひそめるが、猫かぶりが上手な相手の心が分かるはずもない。スピカは跳ねるのを止めて、エトワールの顔を覗き込んできた。
「今の人、エトワールの友達?」
「……ただの同室相手だよ。いちいち俺に喧嘩売ってくる」
「そうなの? 仲よさそうだったけど」
「どこが」
 どう見てもいがみあっていただろうに。そこまで馬鹿かと呆れていると、スピカは首を傾げた。
「だってエトワール、誰かと話してるところ見た事ないよ?」
「そりゃあ話す必要がないからな」
 スピカの言う通り、プレアデス魔法学園に来てからのエトワールは、スピカ、リギル、メフィストフェレウス、それから食堂のおばちゃんぐらいとしか話していない。目的や用件なく世間話をするほど仲がいい相手がいるわけでもないし、初日からグループワークを要求されたわけでもない。当然の状況だ。
「皆と仲良くした方がいいってリベルタ様も言ってるよ?」
「リベルタ?」
「……エトワール、知らないの?」
 聞き返せば、スピカは目を丸くして驚いた。おそらくは人名なのだろうが、エトワールは聞き覚えがない。学園の教員という感じでもないし、と記憶を探っていると、スピカは目を閉じた。
「九大神が一柱、自由と交遊を司りしリベルタ。かの神曰く、『人の縁は得難く脆い。百の黄金を掴む手で一の友人を愛すべし』」
 すらすらとそらんじるスピカの姿は、先ほどまでの姿と違い、エトワールよりずっと大人びて見えた。壇上で演説をする大人と並べても見劣りしないだろう。そのぐらい、しっかりとしてしゃんとした様子に見える。呆気にとられていると、目を開けていつも通りの雰囲気に戻ったスピカは、半目でエトワールを見た。
「……ホントに知らない?」
「……知らん」
 エトワールはこれまで神とろくに関わってこなかった。シュヴァルト家は特定の神を信仰していないし、教会にも訪れた覚えがない。八だか九大神が世界を拓いた、程度の知識しかないが、それで困った事もなかった。スピカは「分かった」と手を打った。
「呪文教えてもらう代わりに、神様の事教えてあげるね!」
「は? 別に……」
「神様の事知らないなんてダメだよ! 世界をお作りになられた方々なのに!」
「いやだから別に必要な……」
「大丈夫! あたし頭よくないけど、九大神の事は完璧だから! じゃ、どこでやろっか? 教室は閉めちゃうんだよね?」
 これからの人生で神の知識が必要になるとも思えないのに、エトワールの返事も聞かず、スピカは歩き出す。どうにも調子が狂うと、エトワールは頭をかいてその後を追った。
 しばらく歩いて、エトワールとスピカは中庭の一つにある東屋にやってきていた。スピカは楽しそうに教科書を広げるが、エトワールはまだ乗り気でなかった。リギルの口車に乗せられてしまった感があるのがどうにももやもやとする。まあ一度やると言った事はやるしかないわけだが。
「それでエトワール、呪文って何なの?」
「そこからかよ。メフィストフェレウスが言ってただろ」
「言ってたけど、よくわかんなかった。聖言と同じなの?」
「……俺はその聖言って方が分からない」
 聖、という事は神絡みの何かなのだろうが、神に関わってこなかったエトワールには全く分からなかった。スピカは一、二回まばたきをして「えっとね」と胸の前で手を組み、瞼をおろす。
空と全てを統べる貴方(al to sky on yor hand)私に風をくださいな(i wish yor wind)
 厳かに呟かれた文句は呪文に似ているように聞こえたが、聞いた事がない単語が多く混じっていたし、意味合いも大分違うようだった。やはり大人びた雰囲気になったスピカを何となく眺めていると、二人の間をびゅうと強い風が通り抜け、広げられた教科書を地面に吹き飛ばしていった。
「……はっ、しまった!?」
 慌てて教科書を追いかけるスピカはただの子供にしか見えない。結果を考えずに行ったらしい行為に呆れつつも、今のは簡単に流せない事だった。教科書についた土を払うスピカに、疑問をぶつける。
「今の、魔法じゃないのか?」
「違うよ? 神様のお力で奇跡を起こしていただくの。ちゃんとお祈りして修行すれば神様は応えてくださるし、神父様はもっとすごい奇跡も使えるんだよ」
「……はーん……?」
 その神に力を借りる感覚がよく分からなかったが、結果的には魔法と同じようなものに見えた。そういえばメフィストフェレウスも「本質は同じだな」と言っていた気がする。
「……魔法は習った事ないんだっけか?」
「うん。エトワールも皆も魔法使えてすごいよね!」
「それが普通なんだよ。……じゃあ魔法からやった方がいいのか……」
 逆さまでは読みづらいと気付き、自分の教科書を取り出す。思えば誰かに物を教わる事はあっても、教える事は初めてかもしれないと気付いた。色々な事を学んできたが、知り合いはいなかったし、下に二人いる弟も基本的に優秀で手が掛かるタイプではなかったため、機会がなかったのだ。どこからどう言えば理解出来るか考えるのは、なかなか難しい事だなとぼんやり考える。
「あー……まず世界にはマナってもんが満ちてるんだ。俺達の体の中にもあって、生命の源とも言われる」
「そうなの?」
「目に見えるもんじゃないけどな。で、体内のマナを特に魔力って言うんだが、これを起爆剤にして、世界に満ちるマナを動かして奇跡を起こすのが、魔法だ」
「……奇跡を? 神様の力を借りないで?」
「そうだ」
 自力で奇跡を起こせるのが不思議なのか、スピカは大きな目を丸くして首を傾げる。エトワールからすれば、いるかどうかも分からない神の力とやらで、魔法と同じ事が出来る方が不思議だ。マナも目に見えないものなので、神の力と似ているのかもしれないが、まだこちらの方が自分で動かせる分、実在を信じられる。
「へー、すごいね!」
「まあ魔力がなけりゃあ大規模の魔法は使えないけどな。……で、その魔法を使う助けになるのが呪文だ。どれだけのマナをどのくらい、どうやって動かすか宣言して、マナを動かすイメージをしやすくすると」
「へー」
「呪文抜きで魔法を使うのは難しいし、大規模になればなるほどイメージが出来ないもんだからな。初等教育で最初に習うんだ」
 ふんふんと頷いて話を聞くスピカ。しかし引っかかることがあったのか、指をあごにあててしばらく上を向くと、エトワールをまっすぐに見てきた。
「呪文を使うのが魔法なの?」
「あ?」
「呪文覚えなくても、同じ事が出来ればいいの?」
「……あー。テストに出るぞ」
「そ、それは分かってるよ! でもほら、あたし空飛べるし」
「……は?」
 暗記が苦手だから呪文を覚えたがらない発言かと思い、先回りして釘を刺す。流石にそれは、メフィストフェレウスも言っていたので分かっていたスピカは、思わず眉をひそめてしまう事を言った。
「いやお前、空を飛ぶとか難しい風魔法の中でも飛び抜けて難しいぞ。何言ってんだ」
 傾向からいくつかのカテゴリに分けられる魔法だが、その中でも風、空に関する物を風魔法と言う。目に見えない風ゆえに、呪文を用いてもイメージが難しく、難易度が高い分野だ。特に空を飛ぶ飛行は、風魔法の象徴とも言える魔法ながら、トップクラスに難しいものとして有名だった。エトワールだってよほど集中力がある時ぐらいしか出来ない。
「むっ、信じてないでしょ。あたし神様の事と風の事は優秀なんだから!」
 明らかに信じていないエトワールにむくれたスピカは、椅子から立ち上がってトンと地を蹴った。普通ならただ跳ねるだけの動きだが、そのまま空を蹴り、地上数十センチのところに立つ。サイドテールをそよ風に揺らして、くるりとエトワールに向き直ったスピカは、得意げに体の後ろで手を組んだ。
「ね、ちゃんと飛べてるでしょ?」
「―――」
 一方エトワールは口をポカンと開けたまま何も反応出来なかった。呪文も使わず、スピカが言っていた聖言も述べず、ごくごく当然のように彼女は空を飛んでいる。高さも安定していれば、バランスを崩してしまう事もない。それがどれだけ難しい事なのか知っているから、エトワールの頭は目の前の現実を受け入れられないで思考を止めていた。
 理解の範疇を越えている。風魔法が難易度が高いとされる理由はイメージのしにくさ以外にももう一つある。他の属性の魔法に比べて魔力、マナの消費が大きいため、魔法の維持が厳しいのだ。並の魔法使いなら数秒飛べればいい方なのに、スピカはいつまでも飛べるような顔でいる。そういえば、昨日別の中庭でぶつかった時も、ここまで飛んできたような事を言っていたような――
「――いや、おかしい、だろ」
 こんなどこにでもいるような、頭の中に関しては確実に子供レベルの少女が、知識がないだけでエトワールよりもずっと熟成した魔法使いだなんて、認められない。だが現実に彼女はなんてことない顔でとんでもない事をしている。それを受け入れなければ話は一歩も進まないのだが、信じたくないと拒否反応が先に立つ。
「エトワール? どうしたの? 何か――」
「スタットコールディスペルエンデ!」
「ひにゃ!?」
「――お、あ、大丈夫か?」
 現実を受け入れられないエトワールを心配するスピカだが、突如横からかけられた魔法によって地面に落ち、どすんと尻餅をついた。その光景に反射的に立ち上がったエトワールの視界に、第三者が入ってきた。
 現れたのはスピカよりも白っぽい緑色の髪の少年だった。エトワールやスピカと同年代に見えるが、制服は着ておらず、植物を模した刺繍の入った赤い服を着ている。スピカは何故落ちたか分からないようで、エトワールと現れた少年を交互に見る。エトワールも、魔法が解除されたのは分かるが、どうやって解除したのかが理解出来ない。
「指定区域以外での魔術……じゃなかった、魔法は禁止されてますよー。勉強熱心なのはいいことですけど、規則はちゃんと守ってくださいねー」
「あ、そうなんですか?」
「そうですよー。あと、禁止はされてないですけど呪文を介さない魔法の発動も止めてくださいね。危ないので」
「はぁーい」
「じゃ、お勉強がんばってくださいねー」
 注意をして、すぐに少年は立ち去った。上級生か、年若いが教師だったのだろうか。卒業してすぐこの学園の教師となる者も少なくないとは聞いている。であるならば、エトワールが知らない方法で魔法を解除出来たとしても不思議はない。なのですぐ考える必要はないだろう。それよりも――
 スピカは立ち上がってスカートについた汚れを払い、エトワールの前に戻ってくる。何もなかったかのような顔をしている彼女を見て、「納得出来ない」と呟いていた。
「う?」
「おかしいだろ、呪文の一つも知らないくせにそんだけの魔法を使うとか」
「そうかな?」
「そうだ。……そんなの認められない。お前みたいな奴がいてたまるか」
 何も知らず何も分からず、ただあるだけで超常の結果を手にしているなんて、そんなもの才能ではなく災害と呼ぶべきだ。天才というのは、持って生まれた才能を存分に伸ばす努力が出来る者の事で、決して何もせずとも結果を出せる者を「天才」と呼んではいけない。
「そうだ、あんなの魔法であるもんか」
「でもエトワール、神様の力を借りないで奇跡を起こせるのが魔法なんでしょ? ならさっきのは……」
「定義はそうだけど、俺は認めない。他の魔法使いを馬鹿にしすぎだ」
「むー……?」
 エトワールの言っていることがよく分からないのか、スピカは眉をハの字に曲げて考え込む。普段なら方って奥だろうが、今はエトワールの発言よりも先に理解させるべき事があった。
「ノート出せ」
「ノート?」
「何でも覚えるなら書き取りが一番だ。ほら、さっさとしろ」
「えー、でも書いたらなくなっちゃうし……」
「なくなったからやるからさっさとしろ!」
「にゃうっ。わ、分かったよぅ」
 たかだかノートの使用を惜しむスピカを怒鳴りつけてしまう。彼女は渋々ながらもノートを広げた。それでいい、と腕を組んで息をつく。
 スピカのような、何も知らず分からないままでいる存在は認められない。ならば理解させればいい。少なくとも最低限の知識を身につけさせねばエトワールの気が済まない。どのくらいかかるか分からないが、一学期の間、暇をする事はなさそうだった。
1 運命的な出会い?
表紙
3 井戸端評論