Twinkle Star!
1 運命的な出会い?
ゆっくりと地上を離れ、風を切り空を進む飛空挺の中は、騒がしかった。イラ家の領地内に設置された空港から出る飛空挺は、主に二つの行き先に向かって飛ぶ。一つは首都オーエン・ウルース。もう一つは空中に浮かぶ学び舎、プレアデス魔法学園だ。
飛空挺に乗っているのは年若い少年少女ばかり。皆、この四月からプレアデス魔法学園に通う事になった新入生だ。かの学園に入学した者は、時間や場所の差こそあれど、こうして飛空挺に乗って浮遊島へと向かう。新たな学園生活に目を輝かせる者、生まれて初めての飛空挺に興奮している者、誰もが未来に期待して、希望で胸を膨らませている。
その中で一人、醒めた目で窓の外を見ている者がいた。窓際なので目立たないが、一人だけ落ち着いた態度で小さくなる地上を見ている。明るい水色の髪を短く切り揃えた彼もまた、プレアデス魔法学園の新入生なのだが、きゃいきゃいとはしゃぐ他の面々を見ようともしない。
彼はこれからの事ではなく、これまで知った事に思いを馳せていた。目に付いたものについて、順繰りに知識を紐解いていく。それが幼い頃からの、彼の暇潰しの方法だった。
「なあなあ」
騒がしい船内で、静かにしている少年は目立たない。誰にも気付かれる事なく、黙々と暇潰しをしていた少年だったが、横から声をかけられた。ちらりとそちらに目だけやって、また窓の外に視線を戻した彼だったが、肩をつつかれては流石に鬱陶しかったのか、眉をひそめて顔を機内側に向けた。
声をかけてきたのは赤色の髪の少年だった。金の刺繍がされた、シックなデザインの黒いコートを着ていて、身なりがいい。どこぞの商家か貴族の息子だろうか。いたずら出来る対象を見つけた子供のような目で見る彼に、水色の髪の少年はさらに眉間のしわを深くする。
「何だよ」
「お前、あのエトワール?」
「……どのエトワールだよ」
「大貴族シュヴァルト家のエトワール様」
やや挑発的に述べられた言葉に、「やっぱりそれか」と水色の髪の少年――エトワール=シュヴァルトは息をついた。
「それがどうかしたのか?」
「いやいや、たまたま隣の席なんてすごいなって思ってさ。あんたの噂はよーく聞いてるぜ」
「そうか」
すいっと顔を外に向ける。興味がない、うっとうしい。態度で示したエトワールだが、相手は調子よく話を続ける。
「お前なら学校なんか行かなくても騎士団とか入れたんじゃないか? 色んな大会で優勝してるんだしさ」
「………」
「あ、それともプレアデス魔法学園に呼ばれたとか? 優秀な生徒はいつでもスカウトしてるみたいだし」
「………」
「なんだよー、すましちゃってさー」
不服そうな声が聞こえたが、エトワールはつとめて窓の外だけを見て、耳を傾けなかった。優秀で未来多望なシュヴァルト家の一員、そんな評価、幼い頃から聞き飽きているからだ。
五大貴族の一つであるシュヴァルト家は優秀な人材を代々輩出している。エトワールもその例に漏れず、万能の才能に加え、努力家という天賦の才を持って生まれた。少年の言う通り、様々な分野の少年大会において、高位の成績をおさめてきた。家にはトロフィーがずらりと並んでいる――しかしそれがどうした、とエトワールは思っていた。
「まあ学園にいる内は身分とか関係ないし、仲良くしようぜ。これからよろしくな!」
なつっこい声で挨拶してくる少年にエトワールは応えない。身分なんて関係ないと言うのなら、エトワールが五大貴族である事を最初に持ち出すなと言いたい。
なおも親しげに話しかけてくる少年の言葉を左から右に聞き流しながら、空を眺める。地上から遙か遠く、天空に作られた浮遊島にあるプレアデス魔法学園。世界中から若く有望な魔法使い見習いが集まる学び舎ならば、家の事など関係なく過ごせるのではないかと少し期待していたのだが、実際は早々に持ち出された。家柄関係なく接する事が主目的でプレアデス魔法学園を選んだのではないとはいえ、エトワールは早くも冷めた気持ちでいた。
どこに行っても五大貴族の、という色眼鏡で見られる。好奇心で話しかけられるのもうざったいし、あからさまにコネを作ろうとおべっかを使ってくる連中もうざったい。特にエトワールは六人兄弟の四男で、家は既に長男が継いでいる。自分が政治の表舞台に立つ事はまずない。社交界だって、年に一度あるかないかの五大貴族の集まりにしか顔を出していないのに、どうしてまず家ありきでエトワールに寄ってくるのか。
「――俺は五大貴族のそういうところ、嫌いだ」
「……あ?」
明確な敵意につい通路側へと目を向けるが、少年は先ほどと同じようになつっこい笑みを浮かべていて、どこにもネガティブな感情は見あたらない。
「どした?」
彼以外が何か言ってもエトワールに届くような静かさではない。だからこの少年が言った以外には考えられないのだが、何も考えてなさそうな脳天気な顔を見ると、敵意を発するとは思えない。よく分からず、眉をひそめて、エトワールは窓の外に視線を移した。
しばらくして、エトワールは懐から懐中時計を取り出した。早朝に集合して飛空挺に乗り込み早一時間が経過する。そろそろかと思っていると、引率をつとめる教師だか職員だかが座るよう船内へと声を張り上げる。いよいよ本物のプレアデス魔法学園を拝めるとあって、騒がしさはおさまらないものの、皆大人しく席に着く。
――やがて窓の外に空以外の物が現れた。地上と何ら変わらない、石畳に植えられた緑、赤い煉瓦造りの建物。しかしそれらは全て浮遊する島の上にあるのだ。
「よーし、お前ら押すなよー。指示通り順番に出ろー」
一瞬、浮き上がるような感覚があって、景色の移動が止まる。引率の指示で前の方から順繰りに外へと移動させられていく。気が急いても出口は一つだ、指示を無視したところですぐに出れるわけではないと分かっているからか、生徒達は浮き足だった様子ながらも整然と指示に従い、順番に外に向かっていた。
エトワールもそれは同じだ。そもそも窓側の席であるエトワールは、通路側にいる人物が全て退かなければ移動出来ない。じっと待って、赤髪の少年の後ろを否応なしについていき、降りて吸った空気は、予想に反して地上とほとんど変わらないものだった。
「………」
ああ、なんだこんなものか。地上と空中で環境が変わっても結局何も違わない。エトワールが期待していたような劇的な変化なんて結局どこにもないのだろう。
最初の授業もまだなのに落胆した心持ちで、エトワールはするりと列を抜け出した。ほとんどの生徒は入学式が行われる講堂へと向かっているが、告知されている時間まではまだあるし、この浮かれた集団と一緒にいるのはどうにも嫌だった。先ほどの少年に絡まれるのも不愉快で、人がいない方へと歩を進める。
建物の横を進む内に着いたのは中庭のような場所だった。円形の噴水を四角く囲うようにベンチが置かれ、その外側に花壇があり、それをまた飾るようにベンチが置かれている。生徒も教師も誰もいない、静かな場所だ。少しだけここで休んでいこうと、エトワールは息をついて噴水のそばへと向かった。
「……ぴぃぃぃぃぃ……」
「――ん?」
と、かすかにだが甲高い鳥の鳴き声のようなものが聞こえた。こんな場所に鳥なんているのかと見回すが、目に入る範囲には何もいない。持ち込まれた生き物が室内で飼われているのかもしれない、そう考えたエトワールの視界の端に青い何かが入った。
「ぴぃぃぃぃぃ!!」
空にある青い点、鳴き声の発生源はそれのようだった。どんどん大きくなり、こちらに迫ってくる。このままいけば間違いなくエトワールにぶつかるだろう。
「ッ――スタットノインオープオルカルブエンデ!」
とっさに急造の呪文でマナを動かし、風のクッションを作る。魔法を展開してすぐ、まっすぐエトワールに向かってそれはつっこんできた。
「うわぁっ!?」
「にゃああああ!!」
その場で作った魔法では明確なイメージも描けず、対象のスピードを緩める事には成功したものの、勢いを殺しれなかった。それにぶつかられるままごろごろと転がり、花壇の中に倒れ込む。
「いってぇ……」
体術もたしなんでいるエトワールだが、流石に受け身もとれず、体中を打ってしまった。今日のためにと弟が作ってくれたコートが土まみれだ。痛みに顔をしかめながらも立ち上がろうとして、腹の上に何か乗っている事に気付いた。
「さむぅぅぅい!!」
「わっ!?」
それが何なのか確かめる前に、がばっと起きあがって悲鳴を上げられた。予想しない行動にビクッと身を震わせてしまう。
どうやらエトワールにぶつかってきたのは、紺色の地味なワンピースを着た少女だった。ここが寒いなんて変な事を、と眉をひそめて、彼女の服や髪がところどころ凍っている事に気付いた。先ほどまで凍えそうな環境にいたのではないか――そう推測したエトワールは、ひとまず少女の額にチョップを食らわせた。
「ぴっ!?」
「少し大人しくしてろ」
エトワールとしては放っておいてもいいのだが、腹の上に乗っかられたままでは動けない。冷静になってさっさとどいてもらうために、記憶の中の呪文を引っ張り出す。マナを動かすイメージ、少女の周りだけを暖かくする現象――
「スタットモノモヴェトリルカルブウートリルカルブダークロスオルモヴェエンデ」
初等教育で習った長い丁寧な呪文を手早く唱える。数秒ほどすると少女は大きな目をパチパチとまたたかせ、パッと笑顔になった。
「あったかい! すごい、あなた魔法使い?」
「違う。いいからどいてくれ」
「あ、ごめんね」
こんな簡単な魔法、誰でも使う事が出来る。この程度で魔法使いともてはやされては専門家に失礼だ。それよりもさっさとどけと促せば、少女は大人しくエトワールの上から引いた。息をついて立ち上がろうとして、指先にコツンと何かが当たった。
「あ!」
何かと見れば、柄の真ん中から折れたほうきがあった。それを見て少女はぴょこんと立ち上がって、拾い上げて大きく肩を落とした。大げさにも見える動きに合わせて、頭の片側で高く結われたライム色のポニーテールが揺れる。
「あたしのほうき……うう、やっぱここまで飛ぶのはきつかったのね……」
「……は?」
少女の言葉におもわず低い声を出してしまう。ほうきで空を飛ぶ、それ自体は不可能ではない。しかしこのプレアデス魔法学園まで飛ぶのは、無理がある。同年代に比べて魔法に習熟しているエトワールであっても、途中で魔力切れを起こすだろう。それを彼女がやったなんて、たやすく許容出来る事ではない。
「お前、それはどういう――」
「ああ、スピカさん、来ましたか」
問おうとしたエトワールの言葉は第三者によって遮られた。そちらを見れば、長い緑の髪が目を引く、中性的な外見の男性が立っていた。長い白いローブを着た彼は、スピカに対してにっこりと笑いかける。
「出来ればもう少し穏当に来てほしかったですが、よしとしましょう。入学式までまだ時間がありますから、少し話をしましょう」
「あっ、はい!」
少女はぴょこぴょこ跳ねるような動きで男性のそばに行く。まだ花壇に座り込んだままだったエトワールは、ちらりと男性に目を向けられて慌てて立ち上がった。
「保健室は少し奥まったところにありますから、もし用があるなら職員に場所を聞いた方がいいですよ」
「……はぁ、どうも」
「では行きましょう、スピカさん」
「はぁい」
少女を連れて男性は道の先へと姿を消す。その背を見送って、コートについた土を払ったエトワールは、はっと思い出した。
特徴的な緑色の長髪。年齢と性別を感じさせない顔立ち。兄に連れられて訪れたイラ家の本家で見かけた覚えがある。記憶が正しければ彼は、プレアデス魔法学園の教頭であるコメットだ。
「……あいつ、教頭と知り合いだなんて何者だ……?」
髪の色は近かったが、親子や兄弟のようには見えなかった。ここまで飛んできたかのような発言といい、何者なのかと眉をひそめるが、答えをくれる誰かが都合良く現れてくれるわけでもない。息をついて懐中時計を見て、エトワールは講堂へと向かった。
入学式はこれといって特筆するところもない、普通の物だった。強いて言えば大体長ったらしくなる校長の話が、ここでは短く終わったのが一番変わったところだろうか。その程度でエトワールの失望感が拭えるわけでもなく、これから一年間共に過ごす事になるクラス分けのプリントも、自分の分しか確認する気になれなかった。
「よっ、エトワール!」
「………」
「何だよ、そんな露骨に嫌な顔しなくてもいいだろ?」
入学式終了後、移動と休憩時間を与えられ、他の生徒と同じように自分のクラスへと向かっていたエトワールは、教室に入る直前にあの赤髪の少年に声をかけられ、顔をしかめた。また五大貴族絡みで何か言われるのかとか、無駄な時間を過ごしたくないとか、様々な理由から露骨に嫌悪感を示してしまう。
「エトワールは一組なのか?」
「それがどうかしたのか」
「俺は二組だからさ。残念、別のクラスか」
「そうか。そいつはよかったな」
エトワールとしてはうっとうしい相手が違うクラスでせいせいする。適当に返事をして教室の中に入った。相手は違う教室の中まで追いかけようという気はないらしく、干渉はそこで途切れる。
赤髪の少年の干渉はなくなったが、教室に入ってからは他の生徒からの視線がちくちくと刺さった。入学式までは浮かれが先に立って周りを認識する余裕のなかった面々が、クラスも判明して余裕が出来、エトワールをエトワールだと認識し、ざわつき始める。
多くの大会で好成績をおさめてきたため、エトワールはちょっとした有名人だった。そういう面から小声で話す者もいるし、五大貴族の一員だと知っていてヒソヒソと噂する者もいる。何か言いたければ堂々と言いにくればいいのだと息をつき、どこに座ればいいのかと黒板に貼られた座席表を確認する。
エトワールの席は窓際から二列目の、一番後ろの席だった。視線が向けられにくい位置である事を少し幸運に思いつつ、席へと向かう。椅子に座って辺りに目をやったエトワールは、左側、窓の方につい先ほど見た緑色の髪がある事に気付いた。
「あ!」
そして気付いてしまったのが失敗だった。視線を向けられたからか窓の外からこちらにぐるんと意識を移した彼女は、子犬のように笑った。一方エトワールはうっとうしい事柄の気配に眉をひそめる。
「さっきの! ええっと、何君だっけ?」
「何でもいいだろ」
「よくないよ! あたしの恩人だってコメットさん言ってたし!」
「……うるさい」
「あ、ごめんね?」
女性特有の高く大きな声でキャンキャン言われると頭に響く。文句を言えば少女はすんなりボリュームを落とした。もっともすぐテンションが上がるタイプのようだから、いつまでもつか分からないが。
「あ、そっか、人に名前を聞く時は自分からだっけ? あたしスピカっていうの。
ねえ、君の名前は?」
「……エトワール」
「そっか、エトワールって言うんだね。さっきはありがとね」
特に失礼な事もされていないし、名乗られて名乗り返さないのもおかしいだろうと自分の名を告げる。少女、スピカは特に何も思うところがなかったのか、相変わらずの子供っぽい笑顔で礼を言った。
どうやらエトワールの事は何も知らないらしい。知っていれば、名前を言った時点で多少の反応があるはずだ。プレアデス魔法学園に入学出来る人物なのに珍しいなと思う。エトワールをただの親切な少年と接してくるその態度は自分にとって好ましいものだった。
一方エトワールの来歴を知っている周囲は、スピカの態度を驚きと疑問を持って見ているようだった。跡継ぎでこそないが、五大貴族シュヴァルト家の一員となれば、一般市民にとっても階級の低い貴族にとっても雲の上の存在だ。そんな相手を対等の存在として扱うスピカの存在は、エトワールに関する知識があればあるほど奇異に映るだろう。
「ねえねえ、エトワールは魔法使いなの?」
「何でだよ」
「だってエトワール、魔法使ってたよ」
「魔法なんて誰でも使えるだろ」
好ましい態度とはいえ、ぐいぐいと絡まれると、うざったいものだった。キラキラした目で「魔法使いだ」とこちらを見るスピカだが、極端な話、魔法なんて少し勉強すれば誰でも使える。大規模かつ複雑なものならともかく、スピカに使った暖房の魔法は、冬場になれば首都の子供でも使う簡単でメジャーなものだ。
「えー、あたし、神父様以外で魔法を使う人初めて見たよ」
「……は?」
「神父様も滅多に使わなかったし。エトワールのおうちだと皆使うの?」
からかっているようにも、すっとぼけているようにも聞こえなかった。誰も魔法を使わない場所が存在するのかと眉をひそめる。余程の田舎や僻地ならそういう事もありえるかもしれない。しかしプレアデス魔法学園に来るような人物が住む場所は、初等教育を受けられる町ではないだろうか。
「ホームルーム始めるぞ、座れー」
と、学園中に響く鐘の音と共に、教室に生徒とは明らかに違う、黒髪の成人男性が入ってきた。めいめいに好きな場所で話していた生徒達が慌てて自分の席へと向かい、ざわついていた校内が急に静かになる。教卓で、ぐるりと教室を見回して全員が席に着いた事を確認した男性は、青い目を細めて笑った。
「改めてようこそ、プレアデス魔法学園へ。君達一組の担任の、メフィストフェレウスだ。長い名前だからな、好きに略して呼んでくれて構わない」
小気味のいい音を立てて、まっさらな黒板に白いチョークで名前が書かれる。名前だけでここまで長いなんて珍しいが、よほど意味のある名なのだろうか。
「一学期の間、初等教育の範囲も含む基礎も教える。つまらなく感じるかもしれないが、君達の知識レベルを均一化するためだから、復習のつもりで受けてくれ」
一学期の間、夏休みまでとなると、三ヶ月半ほどか。そんなに長く基礎をやり直さなければならないのかと若干憂鬱になったが、出身も受けてきた教育の程度も様々な生徒を相手にするには、そうやって最低水準を整えた方がやりやすいのだろう。
「二学期以降はそれぞれの習熟度に応じて授業のレベルが変わる。上を目指すなら、一学期も手を抜かずにしっかりやるんだな」
まあ基礎をやるなら一学期中は適当に、というエトワールの考えに釘を差すかのように、メフィストフェレウスは笑って言った。同じように考えていた生徒は他にもいるらしく、教室のあちこちから小さく声が上がる。面倒くさいと思ったが、これもよりよい教育を受け己を高めるためだと、エトワールは口を結んだ。
「また分かっているだろうが、授業期間中は基本的にこの島から降りられない。休日だからちょっと遊びに、なんて出来ないから、覚悟しておいてくれ。飛び降りても島の魔法に引っかかって先生に回収されるだけだからな。余計な手間をかけさせるなよ」
やはり空高く浮かんでいる以上、落下対策はされているようだ。地上も見えないような場所から飛び降りる気にはなれないが。
「それから、後で順番に鍵を渡すが、君達は二人一部屋で寮で暮らしてもらう。クラスは一年で変わるが、寮の部屋は三年間変わらない。大浴場や食事の時間はしっかり把握しておくように」
そこでメフィストフェレウスはいったん言葉を切った。改めて教室中を見回して、言葉が浸透する間を作る。
「……ここは学校だが、おそらく今まで君達がいた学校よりも、ずっと近い距離で過ごす事になる。気に入らない相手と無理に仲良くしろとは言わないが、共同生活を送っていく以上、互いに快適に過ごせるよう、意識しなさい」
長期休暇中以外は地上に降りられない。ずっと同じ空間で過ごす以上、共同生活のルールは守らねばならない。もとよりルールを破るつもりはないが、少数の家族とではなく、多数の他人と過ごすのだから、エトワールもある程度注意しなければいけない場面はあるだろう。
「小言は以上だ。生徒手帳や制服はそれぞれの部屋に届けられているから、後で確認するように。明日からは制服を着ていないと校則違反だからな」
クスクス笑うメフィストフェレウスに、一部のファッションにこだわりがあるらしい生徒から「えーっ」と声が上がる。書類に服のサイズを記入して送った記憶はあるが、実際既製品の制服を用意されるとなると、常にオーダーメイドの服を着ていたエトワールとしてもやや抵抗感があった。体にぴったりあった服はそれだけで快適なものだ。そうでないというのが気にかかる。
「先に鍵を渡すが、この後軽く校内を回って案内するからな。名前を呼ばれた順に廊下に二列になって並ぶように」
四角い箱を教卓の上に置いて、メフィストフェレウスが順に名前を呼んでいく。各々、何かしら一言かけられてから、鍵を受け取って廊下に出て行った。浮ついた雰囲気ではあるものの、実に整った、学校らしい光景をぼうっと眺める。
「次、エトワール」
「はい」
二数名ほど呼ばれてエトワールの番になった。教卓の前に行き、メフィストフェレウスから札のついた鍵を受け取る。
「思ったより普通だな」
「は?」
「いや、何、世界は君が思っているよりも広いし、化け物もいっぱいいるもんだ。この一年、何度も鼻っ柱を折られるだろうから、楽しみにしておくといい」
「……はぁ?」
喧嘩を売られているのかと眉をひそめる。メフィストフェレウスはクスリと笑って「そういうところ、普通だな」と言ってきた。ますます訳が分からなくて眉間のしわを深くするが、次の生徒の名前を呼ばれては教卓の前に立ち続ける事も出来ず、もやもやとしたまま廊下に出た。
校内案内は特に何事もなく終わった。正確には、何か起こしそうな上級生やら教師は片っ端からメフィストフェレウスに先手を打って教室の中やらロッカーの中に押し込まれ、黙らされていた。パッと見ただけでは優男のように見えるメフィストフェレウスだが、ハッキリとした性格なのかもしれない。ともあれ解散した後、エトワールは他の生徒と同じように寮へと向かっていた。
「すごかったね、広いねここ! びっくりしちゃった」
「………」
その横をぴょこぴょことスピカがついてきて、先ほどから感想を述べ続けているわけだが。他の生徒は話しかけようともしてこないのに、彼女だけやたらと関わってくる。
「いっぱい色んなのあったし、すごい!」
「……そりゃプレアデス魔法学園だから当然だろ」
振り切ろうにも多少足を早めた程度ではスピカはついてきたし、走って逃げるほどではない。仕方なく適当に相手をするエトワールだったが、スピカは嫌々相手をしている事に気付いていないらしく、ニコニコと話しかけてくる。
「人もいっぱいいるんだね。こんなにいっぱいの人、初めて!」
「そうかよ」
「でも皆二人部屋なのにあたしだけ一人で寂しいなぁ」
「……そうなのか?」
「うん、端数だからって。エトワールの部屋行ってもいい?」
「いや、駄目だろ」
男女で同室とか何を言っているんだこいつは、と呆れてしまう。どうも同年代の女子と比べて、スピカは子供っぽい。何も知らない幼子のように何もかもに感動し、初めてだと口にする。あるいは、エトワールが醒めているのかもしれないが。
「……おい、いつまでついてくるんだ」
「え?」
「女子寮はあっちだ、あっち」
男子寮の中にまでついてきそうだったスピカに、塀の向こうにあるもう一つの建物を指さす。スピカは目を丸くしてきょとんとしていたが、もう一度「女子はあっち」と言うと手を打った。
「あ、そっか。男の子とは別の場所なんだっけ?」
「当然だろ」
「そっか、ちょっと寂しいね。エトワール、また明日ね!」
ぶんぶん手を振って、スピカは女子寮へと走っていった。ようやくうるさいのがいなくなったと息をつくが、エトワールのそばで話す奴がいなくなっただけで、周りからの視線は相変わらずある。さっさと部屋に行こうと、鍵についた札のナンバーを確認して寮の中に入った。
一階は学食や大浴場などの共用施設があり、生徒の部屋は二階以上に配置されていた。階段を一つ上り、208と書かれた表札の部屋を探す。やや奥にあったその扉を開けて、エトワールは眉をひそめた。
部屋に不満があったわけではない。五大貴族ともなれば立派な屋敷に住まなければならず、自室よりも狭い事は覚悟していた。部屋の両サイドにベッドとクローゼットが設置され、中央を区切るように勉強机が置かれているが、それを抜いても十分なスペースが確保されているように見える。部屋の設備や広さではなく、エトワールが眉をひそめた原因は、先客の存在だった。
「あれ、エトワール」
コートを脱いで椅子に座って生徒手帳を読んでいた彼は、顔を上げてこちらを見た。飛空挺の時からこちらに絡んできた、赤髪の少年だ。こちらが不機嫌な顔をしているのが不思議なのか、首を傾げる。
「どした?」
「何でお前がいるんだ」
「そりゃここ、俺の部屋だし」
「……は?」
言われた言葉をすぐには飲み込めなかった。クラスメイトの反応からして、距離を取られながら過ごす事になると思っていたのに、よりにもよってこいつと一緒なんて、と眉間のしわが深くなる。一方少年は笑って椅子から立ち上がった。
「そっかー、エトワールと同室かー」
「………」
「ま、部屋は滅多な事じゃ変わらないし、三年間仲良くしようぜ」
「……誰が、ッ!」
誰がお前なんかと仲良くするか。反射的に言いかけたエトワールだが、胸倉を掴まれ引き寄せられ、言葉を詰まらせた。眼前に来た少年の口は笑みの形をとっているが、深いルビーのような目は全く笑っていない。
「俺はリギル=レヘヴェーだ。……お家に縋って逃げるか?」
挑発的な台詞とまっすぐ向けられた敵意で首筋がピリリと痺れる。エトワールは胸倉を掴む腕を振り払うと、「上等だ」と言った。
「エトワール=シュヴァルトだ。そっちこそ三年間逃げるんじゃねぇぞ」
「おう、もちろん。よろしくな!」
先ほどの敵意はどこへやら、リギルは人のいい笑みを浮かべている。とてもエトワールを嫌っているようには見えない。とんでもない猫かぶりもいたものだと、エトワールは舌打ちをした。