Last Order

9 理由

「おや、逃げるのかい。いいよ、君は自由だ。逃げるならどこへでも逃げればいい。自由に飛べる鳥であれ。ああ、でも、勘違いしないでほしいんだけど、君はヒトじゃないよ。ヒトデナシ。僕が作ったモルモットなんだから。ん、プラントでもいいかな。人畜でもいいけど。君の選択を僕は祝福しよう。だけれど、自分がヒトだなんて勘違いしちゃいけないよ。どんなに見た目が似ていようと、君はどこまでいっても、君一人のままじゃ、ニンゲンになんてなれないんだから。せいぜい野良犬のように生き抜いて、野良猫のように死に場所を見つければいいさ。ねえ、――」
「――ッ!」
 何回も何回も再生された台詞、それにエイテルは飛び起きていた。ここ数日、ようやく忘れられていた悪夢に、全身が震えて、冷や汗が出ている。肩で息をしたエイテルの頭が、ずきんと痛んだ。
「ぅ、く……」
 額を押さえて、ようやく「ここはどこだろう」という疑問を持つ余裕が出来た。いつもの、暗く閉鎖されたエイテルの部屋ではない。カーテンが閉められていても明るい室内を見回す。
 部屋の面積自体はそこまで広くなく、物も多いが、よく片付いているため、猥雑な印象は受けない。部屋主の好みなのか、全体的に淡い青色で統一されている。エイテルがいるベッドは普段使っている寝床よりもずっと上等だ。
「……ぅ……っ」
 また頭痛がして、エイテルは背中を丸めた。エイテルの体は丈夫に出来ていて、三日三晩ぐらいならば寝なくとも十全に動けるというのに、今日はどうしたのだろう。手足が重く、力が入らない。夢見が悪くても体まで悪い、なんて事はなかったのに。
 思うようにならない体に考え込んでいると、扉が開いた。
「お、起きたか!」
「……ランド?」
 入ってきたのはランドだった。パイプ椅子をベッドの側まで蹴って移動させると、手に持っていたトレイをサイドテーブルに置く。トレイには、青い陶器製の小さな鍋が乗っていた。
「いやー、思ってたより早く目が覚めて良かったぜ! 丸一日以上寝てたんだぞお前
「……ここはどこだ?」
「俺の部屋」
「……何で……」
「覚えてねぇ? エイテル、無茶したじゃねぇか」
「無茶……?」
 眉をひそめて記憶を辿る。確か、誘われたし気が向いたからランドと共にダイブをした。アーカイブでデータを読んでいたら、誰かが来たから去ろうとして。そうしたら男と女が目に入って――
「――そうだ、俺の――! っ、つぁっ、ぐっ……!」
「お、おいおい!」
 反射的に立ち上がろうとして、激しい頭痛に襲われ、うずくまった。痛みに呼吸が止まる。頭を押さえて喘ぐエイテルの背を、ランドの手がさする。他人の体温が不快だと感じる余裕もない。
「無理すんな。あんだけの攻撃受けてこんなすぐ目が覚める方がすごいんだぜ? 下手したら植物人間ってハスタールは言ってたし……」
「っ、で、でも……っ」
 欲しい物が。求めていた物が。あそこにあったのに。どうして手に入れてはいけないんだと、顔を上げる。
「落ち着け」
 たしなめる言葉と共に額を叩かれた。けれど全く痛くなく、言葉の調子も強くない。触れる程度の力加減で、スポンジのような柔らかさで。
「あのなぁ、電子空間で何か取ってもデータ上のやり取りでしかねぇんだぞ?」
「あ……」
「IPすっぱ抜くなりストーキングするなり、方法は色々あっただろ? ……何でとか知らねぇし聞かねぇけど、死んだらどうしようもないだろ。この馬鹿」
 ランドの言う通りだった。電子空間上で目的の物を取り戻せても、現実には何も手に入らない。一方で、あちらで受けたダメージは、現実に影響する事もある。だからセーフティとして受動ウォールがあるのに、そんな事も頭から抜けていた。見た瞬間、奪い返さなければという衝動に支配されていた。
「……? 何で俺はここにいるんだ?」
 唇を噛んでうつむいていると、ふと疑問が浮かんできた。ダイブをしたのはエイテルの部屋で、ログアウトしてすぐ気絶したのなら移動なんて出来やしない。そもそも、体調不良になってもエイテルは自室の外に出ないだろう。ランドは少し肩をすくめた。
「お前の家にまともなベッドがなかったから連れてきたんだよ」
「……別に、放っておいてよかった」
 確かにエイテルは普段、ソファで毛布をかぶって丸くなるだけの、簡単な寝床で過ごしている。不調の体を横たえる場所なんてないが、自業自得の結果なのだ。ランドのせいではないし、一蓮托生になるような関係でもない。それに自分は、
「俺は、ニンゲンじゃないんだし……」
 それだけは忘れていない。あの日あの男に言われた事は事実で、エイテルはヒトの姿をした家畜に過ぎない。こうしてヒト社会の片隅に紛れてはいるが、本当は逃げだそうとした時点で屠殺される運命だった。気まぐれで戸籍を与えられているだけで、エイテルは未だヒトデナシだ。
 が、ランドは呆れた顔をして、大げさなため息をついた。
「はぁ? お前馬鹿か、人間とか人間じゃねぇとか関係ないだろ。倒れて苦しんでる奴を放ってなんかおけるかよ。それに……」
 ランドは大きな手でエイテルの頭を撫でてきた。人が頭痛で苦しんでいるというのに、無遠慮に頭を揺らしてくる。抗議しようとしたが、にかっと曇りのない笑顔を向けられて、エイテルは黙ってしまった。
「パートナー、だろ? お前がどう思ってるからは知らねぇけど、少なくとも俺はエイテルを見捨てたりなんかしねぇよ」
「――……」
 ぽかんとランドの顔を見ていた。エイテルとランドのパートナー関係はあくまでビジネスライクなものであってそんなに気負うものではない、なんて考えても、声にならない。何でもない事でよく笑う脳天気な男だと思っていたが、この笑顔はいっとう眩しく見えた。
「っと、エイテル腹空いてねぇ? オートミール作ったから食っとけよ」
 放っておけばいつまでも見続けていただろう。だがランドが動いた事で、エイテルは硬直から解放された。差し出された鍋を素直に受け取り、スプーンですくって口に運ぶ。そういえば、誰かに料理を作ってもらうなんて、初めてな気がした。
 二日間アーカイブで調べ物をした結果、ルインは目当てのデータを見つけたらしく、また仕事部屋にこもってモニターと向き合い始めた。あの状態では一緒にいても仕方がない。生存活動が出来る程度の頻度で現実に引き戻してやって、後は好きにさせた方がいいと分かっていた。
 なので、ハイデンは昼からまた出かける事にした。久しぶりに通る道を行き、赤いレンガの壁が特徴的な建物にやってくる。オールドグレイブの拠点だ。あまり来たくない場所だったのだが、目的のデータを見るには家にあるモニターは小さく、ダイブ出来る設備はルインが使っているため、ここに来るしかなかった。珍しい木製の扉を開けると、受付に座っていた小柄な女性と目が合った。
「うにゅう!? ハイデンさん、お久しぶりですの!」
「コトウさん、久しぶり。仕事は?」
「今日は受付ですの。何か用があるなら聞きますですの」
 相変わらずらしい様子につい笑ってしまう。彼女、コトウはオールドグレイブに所属するハッカーの一人で、元々はウィルス退治を志願していた。しかし何故かウィルスに懐かれ、仕事にならない案件がしばしば発生した。二、三回ほど同行したが、あれはかなり驚く。敵対的存在であるウィルスが、攻撃するでもなく人にたかってすりよる場面なんて、コトウでなければ絶対に見られない。だから事務作業によく回され、ハイデンがいた頃も受付や書類整理を主に行っていた。
「ライブラリ開いてる?」
「開いてますの。何か探し物ですの?」
「まあちょっとね。……あー、俺が来たとか言いふらさなくてもいいからな?」
「うにゅう!? 何故ですの!?」
「いやまあ、気恥ずかしいし」
 コトウは女性らしく、手に入れた情報をすぐに周りに話してしまうところがあった。なので先手を打ってから、軽く手を振ってライブラリへと歩く。辞めた人間が今さら顔を出すという気恥ずかしさもあるのだが、理由としてはまた別のところにあった。
 オールドグレイブを辞めたあの日の事はよく覚えている。――彼女との「約束」も、また。言いふらされて会ってはいけない人間に会うと困るのだ。
 ところが、ライブラリには先客がいた。見知った古式なフォーマルスタイルに思わず「げっ」ともらしてしまう。それで気付かれたようで、振り向いた彼女は冷たい目でハイデンを見てきた。
「……あら、ハイデン。何しに来たの?」
「何しにって……ちょっとライブラリを使いに。クーは?」
「ライブラリの更新よ。貴方が来るって分かってたら午前中に済ませたけれど。……約束。忘れていないわよね」
「当たり前だろ」
 二番目に会いたくない相手の厳しい視線を和らげるように、ヘッドバンドを弄る。機械からデータカードを抜いたクーは、フンと鼻を鳴らした。
「まあいいわ。守ってくれるなら構わないわよ」
「……そりゃどうも」
 クーの横を通り、更新が終わったライブラリを起動する。目的のカタログを呼び出し、パラパラとめくっていく。てっきりすぐどこかに行くと思われたクーだが、ハイデンの隣に来ると画面を覗き込んできた。
「義腕? 何、いよいよ不便になったの」
「あー、まあ」
 片手で出来る事は限られている。十三歳の頃から十年以上、片腕だけで過ごしているが、自分で何でもするようになると流石に不便になってきた。
「即売所や自動調理器便りだと料理のレパートリーが増えないし、裁縫もなかなかなぁ。掃除も両手の方が便利だし」
「……貴方はどこに行きたいの?」
「え?」
 ハイデンとしては真剣なのだが、クーには呆れられてしまった。肩をすくめてライブラリを出ていくクーを、視線だけで見送って、ライブラリの画面に戻る。閉じられた扉の向こうから話し声が聞こえた。
「あ、クーさん!」
「あら、恋人さんはもういいの?」
「いや恋人違うっすから。とりあえず意識は戻ったんで、仕事に来たっす。あ、でも早引けさせてもらえると助かります」
「そう、なら私の代わりにこれを倉庫に戻してきてちょうだい。それからコーヒーをメーカーごと持ってきて」
「どっちもクーさんの私事じゃねぇっすか」
「いいからやれ」
「痛っ!? クーさん、そのすぐ暴力に訴える癖直した方が……」
 話し声はそのまま遠ざかっていく。クーが話していた相手は聞いた事のない声だった。――いや、つい最近聞いた気がするが、少なくとも馴染みのある声ではない。一年も来ないと知らない人間が増えるなぁ、と息をついた。
8 遭遇  表紙  10 遠い日の記憶