Last Order
8 遭遇
――それはずっと昔の事。まだランドが親の庇護下で学校に通っていて、オールドグレイブに訪れる予定もなかった頃の話。
「今日は有意義な会話が出来たな。そうだ、君にこれをあげよう」
夕焼けを臨む学校の屋上で、一瞬だったような気がする、一方で永遠だったような気もする会話の後、男は一枚のデータカードをランドに差し出した。
不思議な雰囲気の男だった。どこからどう見ても人間なのに、どうしても人間だと信じきれない。色鮮やかで派手な、複雑な模様の服が余計人間だと臣事させなかったのかもしれない。
そんな「信じられない」相手からの贈り物を、当時のランドは疑う事なく受け取った。ウィルスや違法性のあるプログラムではないだろうと男を信頼していたから、ではない。単に「もらえるものは何でももらう」主義だったのだ。
「僕からのプレゼントだよ。気に入ったニンゲンには何かしら上げる事にしててね。君の将来に役立ちそうなものを選んだよ」
「中身は?」
「マザーコード。詳しい事は自分で調べてくれよ、説明するのはあまり好きじゃないんだ」
「ん、分かった」
もし意味を知っていたらランドはデータカードを突っ返していたかもしれない。ごく自然に言われたその中身は、とんでもないものだ。そんなランドを見て、男はクスクスと笑った。その仕草がまた、どこか作り物のようで、けれど本物に見える。
「疑わないんだね」
「へ?」
「価値を知らないからか、純真無垢なのか、それとも使えるものは使えるだけか。あるいは貧乏性なのかな? まあこちらにとってはありがたいけれども」
男は大きな手でランドの頭を撫でる。それが照れくさい上に、少し痛くて、ランドは頭を引いて避けた。男はその手で自身の顎をなぞる。
「うーん、あの子にももうちょっとこういう事してあげればよかったな」
「あの子って?」
「うん、少し前まで子育てしてたんだけどね。飽きたから捨てちゃった」
「さいてー」
今日と明日の事しか考えていなくて、無茶と馬鹿ばかりやっていた当時のランドでも、育児放棄が道徳的にも社会的にも悪だという事は知っていた。わざとらしく言えば、男はまた笑う。
「手がかからない子だったからなぁ。褒める必要もないぐらい覚えるのが早くってね、そう、一番の成功作かな。僕が育てなくてもいいから捨てたんだけど、その前にハニーにも見せればよかったよ」
おどけた仕草で肩をすくめる男は、何一つ悪いと思っていない様子だった。ランドもこの世界なら子供一人でもマザーの庇護を受けて生きていけると知っていたので、からかったり突っ込んだりはしなかった。
「他にも何人か成功作はいたんだけどね、皆野に離したから、生きているかなぁ。君のようにわずかでも理想を持って生存していると僕的には楽しいのだけれど」
「思ったけど、あんたってロクデナシだよな」
話される事に対してぽつりと口を突いて出た言葉に、男はきょとんとして、すぐに破顔した。それはとても、人間らしい仕草だった。
「そりゃあ、僕はヒトデナシだからね。――“ニンゲンなんて遊び道具だよ”」
朝起きて、ランドは懐かしい夢を見たと反芻した。成長してから夢を見る頻度は下がり、ラストオーダーに来てからはほとんどなかったというのに、珍しい。大きく伸びをして、メールの返信を確認する。
今日は一日休みだから長い時間付き合える。昨日入れておいたメールには、早い時間に返事が来ていた。了承の旨を書いた短いメールににやけつつ、大きく伸びをしてシャワーを浴びにいく。
「……そういやあの人元気かなぁ……」
放課後、屋上に行ったらいて、それっきりだ。少し話しただけでマザーコードをくれるなんて太っ腹にもほどがあり、素性も全く分からない人物だった。世界中を旅しているとは言っていたが、今頃どこにいるのやら。別居中だという「ハニー」にでも会いに行っているのだろうか。
寝汗を流して浴室から出、いつも通りの服装に着替える。ランドは休みだが、オールドグレイブは今日も動いている。勤務中の同僚達を刺激しないよう、勝手口を通って寮を出た。
慌ただしい、朝特有の雰囲気に包まれた町を歩く。旧時代の特に日本はもっとせかせかしていたらしいが、きっと些細な違いだろう。
覚えた道を歩き、指紋認証のキーロックを外し、細い廊下を進む。ソファに座るエイテルと目が合って、あ、と気付いた。
「悪ぃ、菓子買ってこなかったわ」
「……別にいい」
そういえば恒例になっている甘味を持ってくるのを忘れた。エイテルは目を言うでもなく、ふいっと顔を背けた。そういえば、二日目辺りに「子供じゃない」と怒っていた気もする。甘味は好きだが、子供扱いされるのも気にくわないのだろう。
既に準備を終えていたバイザーを受け取り、ソファに座る。端末ともコードを繋げて、ふと疑問がわいた。
「そういやエイテルってダイブしねぇの?」
最初に会った時はダイブしていたが、それ以降、少なくともランドと共にいる時はしていない。常にCUIでこちらをチェックしている。エイテルはコンソールを叩く手を止めず、視線だけをこちらに向けた。
「しない」
「じゃああの時ダイブしてたのは何で?」
「……気分」
答えて、視線を外された。CUIにこだわる理由と、あの時ダイブした特別な動機があるのかと思ったのだが、そんな事はないらしい。ならば、と言葉を続ける。
「じゃあさ、たまには一緒にダイブしようぜ。エイテルだって待ってる間暇だろ?」
「……別に構わないが」
「嫌なら別にいい――ん、え? いいの?」
エイテルは強情で、反発しやすいとランドは感じている。だから誘ってすぐに了承がとれるとは思わず、つい聞き返してしまった。エイテルは不機嫌そうに眉をひそめる。
「構わないと言っている。……拾えるデータの数は減るが、多少だ」
「え、あ、いいのか? 作業とか……」
「別にダイブしながらでも出来る事だから」
言いながら、エイテルは予備のバイザーを取りに行くためか、別室へと移動する。こんなにあっさり了承してもらえるならもっと早く誘っておくんだったかと思った一方、このソファ以外のどこにエイテルの体を預けられる場所があるのだろう、と首を傾げた。
「ハイデンー、ダイブー」
「ん、おう、分かった」
時刻は二時を回ったところだった。食後の片付けも終わり、ゆっくりしていたハイデンは、ルインに声をかけられ、電子書籍を閉じた。普段はルインしか使わない仕事部屋に入る。椅子に腰掛けると、ヘッドバンドにつけた片眼鏡にコードを指し、遮光モードにする。
ルインはと言えば、バイザーもつけず、端末を使うでもなく、両手にコードを一本ずつ握っていた。あれでダイブ出来ると言うのだから、不思議極まりない。人体は電気を通すから自分の血管をコード代わりにして云々と説明されても、理解出来なかったし、出来ても納得がいかない。
「アンカー先はいつものポイント?」
「よりちょっと深度深いかなー。でもあんまり変わんないよ」
「了解っと」
ヘッドバンドを下ろし、義眼でない方に片眼鏡が来るよう調整する。視界が真っ暗になって少し、グラスにわずかに緑色の信号が走った。すると意識がふっと落ち、すぐに藍色の世界に降り立つ。
ルインの腕は信頼しているが、念のために一通り確認していると、すぐ隣に光が沸き出した。それは徐々に人の形を取り、まもなくルインに変化する。電子空間に降りたルインは、ハイデンと同じように挙動を確認すると、はにかんだ。
「えへへ、それじゃあ行こうか」
「おう」
並んで歩き出す。この辺りはウィルスもほとんどおらず、戦う危険性がほぼないため気楽なものだ。ガチガチに装備を固め、毎日のようにダイブしていたあの頃が少し懐かしい。
ほどなく、古びた巨大な図書館が見えてきた。高い柵に囲まれているが、許可はきちんと申請してある。ルインは懐から色鮮やかな紋章が描かれたカードを取り出すと、正門の鉄の扉にかざす。すると扉はふっと消え、一時的に通行出来るようになった。
レンガで作られた道を歩き、図書館の中に入る。重厚な細工の高い天井に、ハイデンは「おー」と感嘆の息を漏らした。多くのコロニーは生産性と機能性を重視され、装飾は二の次として作られたため、このような凝った建築は特定文化再現コロニーに行かねばお目にかかれない。
「やっぱいいなー、こういうの。一回アストロラーベ辺り行きたいなぁ」
「あそこ? 砂漠と建物と草原がある以外は何もなかったよ?」
「それでいいんだって」
それが目当てで行くのだから、それ以外に何かあると困る。雰囲気に浸るためには余計な異物はない方がいい。天井を見上げたまま奥へ進もうとすると、
「おい、そこの二人組」
横から声をかけられた。足を止めて視線を落とせば、木のカウンターの向こうで若い男がこちらを見ている。着ている制服はガーディアンの物だ。ここに常駐しているガーディアンだろう。
「はぁーい?」
「決まりだからちょっとこっち来い」
大人しく近寄ると、説明する前に首に手をかざされた。男の手がわずかに光ったかと思うと、カシャンと首輪が現れる。ルインも同じように首輪をつけられた。おそらくこれがプログラムの使用を制限する物だろう。
「知っているだろうが、当アーカイブ内では自衛用のウォールを除いてプログラムの使用が禁止されている。黙って普通に閲覧してろ。あ、それここから出たら取れるから、帰りに寄る必要ねぇからな」
言うだけ言って、男はカウンターから離れた。仕事「は」やるタイプのようだ。それ以上何か言われる気配もないので、ルインと共に奥に進んだ。
二人の頭上でパラパラと本がめくれる。エイテルはその下に座り、以前コピーしたデータを読んでいた。黙って目を動かす間、ランドは相づちがあろうとなかろうと、隣で延々と喋っている。うるさいとは思わないが、よく喋るネタが尽きないな、と思う。口も疲れないのだろうか。
「そんでさー、何か変だなーっと思って声かけてみたら団長寝て……どうした?」
わずかだが、図書館全体の空気の変化を感じ、エイテルは読んでいたデータを閉じた。急に立ち上がったエイテルに目を丸くするランド。エイテルは答えず、警備システムのログに、気付かれないよう痕跡が残らないようにアクセスする。
「誰か来た」
「え、マジか。向こうのプログラムたたむぜ?」
「ああ」
ランドは腕を伸ばし、開いた手を握る動作をする。これで向こうで動いているプログラムは終了する。エイテルも同じように、こちらで動いているプログラムを畳んだ。
「うし、じゃあ戻るか」
「そうだな」
動作の完全な終了を確認してから、立ち去る。ステルスもエイリアスもかかっているため、同座標に来なければ二人の存在は分からないが、プログラムは二人よりも見えやすいし、危険はおかしたくない。本棚を横切って外へと向かう。
「それで目的の棚はどれ?」
「えー、どこだろー。言語学ってどこら辺?」
「……いや、俺に聞くなよ。調べとけって。言語学って図書分類法だといくつだったかな……」
左側から会話が聞こえて、何の気なしにそちらを見た。正規の手段で来たのだろう、プログラムの使用を制限する首輪をつけた男女の二人組がいた。
「――ぁ」
それだけならよかった。しかしエイテルは見つけてしまった。
「……おい、エイテル?」
立ち止まったエイテルの肩にランドの手が乗せられる。エイテルはそれを振り払って駆けだしていた。
「っ、おい!」
片腕の男の、見えた左目。自分と同じ色の瞳。あの日、
「俺の――」
あの日、あの男にえぐられた――
「俺の目を返せッ!!」
使える限りのCPUでアタックデータを起動させる。百を越える赤く輝く短刀が、片腕の男めがけて飛んだ。
「へ――」
「ハイデン!」
まさかこんなところで襲われると思っていなかったのか、ほうけている片腕の男の前に、側にいた女が飛び出した。突き出した小さな手のひらを中心に、青白い、複雑な模様の陣が広がる。男を対象にしたはずのアタックデータは、どこかで見た気のする陣へと吸い込まれた。
直後、光が走った。
「ッ――!!」
能動ウォールを展開する時間はなかった。受動ウォールが働いたものの、使える限りのCPUを使った攻撃の後では、ほとんどダメージを減らせない。相手の攻撃をまともに食らう事になり、頬を、肩を、足を、腕を、細い光の針が貫いていく。痛みを感じるどころの話ではない、圧倒的だった。
何故プログラム使用制限をされているはずの向こうがこちらを攻撃出来るのか。まともに思考出来たのはそこまでで、膝が折れる。
「おい!」
床に倒れこむ直前、身体を抱え上げられた。ノイズが混じってはっきりしない視界にランドの腕が映る。その手には小さなボビン。アンカー帰還用のプログラムである、アリアドネの糸だった。
アリアドネの糸は一瞬でアンカーに戻れるが、ステルスやエイリアスなんて関係なくログを残す事になる。止めようとする前に、ランドはアリアドネの糸を使っていた。座標が大きく動く感覚が、頭を揺さぶって頭痛を引き起こす。
「ば……何、つか……」
「馬鹿はお前だ! 早くログアウトしろ!」
ノイズ混じりどころか、映像も映らなくなってきた視界とは対照的に、触感ははっきりとしていた。アンカーに手のひらを押しつけられ、エイテルは反射的に、目を閉じても変わらない視界を手放すように、上方を見ようとした。
ブツッと意識が途切れる感覚に、気絶したんだと一瞬本気で思った。
「エイテル!」
バイザーを剥ぎ取られた。明るい室内にくらくらとして、額を押さえる。こちらを覗き込むランドの顔もぼやけてはっきりしない。
「大丈夫か!?」
「っ、ぁ――……」
視界をはっきりさせたくて手のひらを握るが、上手く力が入らない。疲労を溜めすぎた日よりも、風邪をこじらせてしまった時よりも酷い。
「俺、の……ぅっ、く……」
ズギンと頭が痛んだ。あそこにあったのに、手に入れなければいけない物が、エイテルがずっと求めている物が。
「、ぇ……が……」
「おい!? おい、エイテル!!」
身体から力が抜ける。意識を繋ぎ止められない。ランドが自分の名を呼ぶ声が、やけに遠く聞こえた。
「……何だったんだろ。ハイデン、覚えある?」
「いや、ないけど……」
突然襲撃してきた二人組がいなくなってから、ルインは能動ウォールをしまった。いったい何だったのだろう。ハイデンはまっとうに生きてきたつもりだし、ルインも人の恨みを買うように生きているタイプではない。何故殺すつもりの攻撃をされたのか、分からない。
「ルイン、さっきのは?」
「え? ああ、ウォールに反射機能つけてみたの。アタックデータ使えないなら万が一のために必要かなーって。んー、でもCPUの消費が激しいからウィルス退治には使えないかなー。いい案だと思ったけど売り込みは無理かなぁ」
「……だったら先に図書分類法調べろよな。助かったけど……」
分からないと言えば、先ほどのウォールだとルインに聞けば、事前に作ったプログラムだと説明された。ウィルスは大量のデータに引き寄せられる性質があるため、ガーディアンがいるアーカイブの施設であっても遭遇する可能性はあるわけだが、その前に調べる物があるだろうと肩をすくめる。
ふと、相手はどうなったのかと気になった。あれだけの攻撃を展開した後の、反射である。防御に回せるCPUは残っていたんだろうか。仮に残っていたとしても、あれだけの攻撃を受けて無事に済むとは思えない。
電子空間は仮想空間だが、現実に影響を与えるケースもままある。数年前に発生した眠り病も、原因は特殊な進化を遂げたウィルスだった。電子空間で大きくダメージを受けて、半身不随になった症例も聞いた事がある。
大事になっていなければいいが。自分を襲った相手を心配するのも変だが、そんな風に思った。
「おい、何かあったのか?」
と、いつの間にきたのか、入り口にいた男が声をかけてきた。ハイデンが答える前にルインが応答する。
「あ、大丈夫です、ウィルスに襲われただけですから」
「……そんならいいけどな。あんまり面倒起こすんじゃねぇぞ」
ウィルスが入りこむケースは珍しくないのだろう、すぐに納得して男は戻っていった。彼の姿が見えなくなってから、ルインに耳打ちをする。
「……何で嘘ついたんだ?」
「……いやだってさ。正当防衛だけど相手が死んでたら私、犯罪者だよ?」
「……まあ、そうか」
被害者はこちらだ。特段隠す必要もないのに、何故嘘をついたのか。問えばルインは珍しく困った顔をしてそう答えた。仕掛けてきたのはあちらなのだから、ルインは悪くないように思うが、本当の事を言って何が変わるわけでもない。彼女がいいのなら、とアリアドネの糸の痕跡を消すルインを眺めていた。