Last Order
10 遠い日の記憶
「ハイデーン!」
「うおわっ!?」
勢いよく扉が開かれたかと思うと飛びかかられた。ぐっすりと眠っていたのに、その音と衝撃で無理矢理起こされ、ハイデンは眉をひそめた。ハイデンは特段夜目がきくわけではないが、義眼は暗闇の中でも多少物を見る事が出来るし、声で誰かはすぐに分かる。ルインだ。
「ちょ、ルイン……?」
「やっと解けたよー! いやもう中国語からギリシャ語に変換してラテン語に直したと思ったら数字になってそこからひらがなにした上で英語にしなくちゃいけないとか絶対この暗号考えた人性根腐ってるって」
「え、あ、解けたの?」
「うん、ようやく解けたの! 一ヶ月近くかかっちゃったよ!」
暗号解読の報告をして、満面の笑みを浮かべるルイン。その笑顔は可愛いのだが、馬乗りになられていると困る。いくらルインでも腹の上に乗られると重いし、第三ボタンまで開けられたワイシャツから見える谷間とか、全く隠せていない太股とか目の毒だ。夜でよかったというべきか、残念というべきか。ハイデンの心情など露知らず、ルインはぐっと握りこぶしを作った。
「思ったより時間かかちゃったけど、徹夜した甲斐があったよ!」
「……徹夜?」
ハイデンとしては聞き捨てならない単語が耳に入った。じっとルインの目を見れば、ルインは「あ」と口を丸くしてからぷいっと顔を背けた。
「そ、空耳じゃないかなっ」
白々しい反応だった。監視していたはずなのに、このワーカーホリックはこそこそと徹夜をしていたらしい。ため息をついて、ルインの左腕を掴む。
「うりゃ」
「ふなっ」
そのまま強く引っ張れば、ルインは体勢を崩し、ハイデンの胸に倒れ込んだ。すぐ目の前にルインの顔が来る。状況が飲み込めないのか、ルインはしきりにまばたきをしていた。
「徹夜とか、駄目だろ。今日は寝てなさい」
「え、えぇ、でも終わったし連絡……」
「期限付きの依頼じゃないだろ。本っ当、ルインはすぐ無理するんだから……」
どうりでいつもよりテンションが高いと思った。本人はこの程度無理でも無茶でもないと思っているだろうが、心配するこちらの身を考えて行動してほしい。
ふわぁ、とあくびが出る。壁の時計に目をやればまだ五時前、いつもの起床時間まで二時間ほどある。叩き起こされた事もあって、眠気が強い。
「んー、眠……」
胸の上のぬくもりを抱き締める。まだしばらく、せめて起床時間までは寝ていたかった。
「とりあえず寝なよ、俺ももう少し寝るから」
「うぇ、でも……ひゃ!?」
まだごねるルインの耳を甘く噛み、言葉を封じる。動きもぴたりと止まっておとなしくなった。
「でもじゃない。俺が寝ろって言ってるんだから大人しく寝ろよ」
「うー……」
もう一度あくびをして目を閉じる。ルインの体温は子供のように高く、すぐに眠気がやってきた。
――十年以上前、まだハイデンが十三歳だったある日の事。
本当に突然の事だった。ラストオーダーよりも一つ古い、人類が作ったコロニー、ムーンクレイドル。月面に造られたそこでハイデンは生まれ育ったのだが、その日、大規模なガス爆発事故が起こった。
おかしな話ではある。当時、代替手段の普及により、既にあらゆる化石燃料は過去の物となっていた。ガスなんて料理にこだわる人間ぐらいしか使わない、希少品の嗜好品で、コロニー一つを壊すほどの量が一カ所に集まる事なんてまずありえない。なのに何故、あれほどの爆発が起こったのか。
原因は分かっていないが、とにかくも悲惨な事故だった。テレビの中でも見ないような規模の炎が上がり、建物はどれもかれも崩れ落ちる。悲鳴と怒号があちこちから聞こえ、血と痛みが風に乗って蔓延する。あれほどの悲劇を見る機会は、もうないだろう。
コロニーそのものが崩壊してもおかしくなかったが、建物の大半が崩壊しただけで、外に繋がるターミナルも、真空を遮断する外殻にも影響はなかった。怪我人は大勢出たが、死者は一人もいなかった。
規模から考えれば奇跡的だ。それを導いたのは、ムーンクレイドルにやってきていたある旅人だった。
不思議な人物だった。皆が逃げ惑い、混乱が流行り病のごとく広まる中、たった一人冷静に――まるで最初から何が起こるか分かっていたかのように――的確に炎の中を巡り、建物の崩壊の矛先を変え、死を待つだけだった人々を救った。
ハイデンもその、救われた側の一人だった。いつも通りの日常として学校に行っていたハイデンは、友人と共に校舎の倒壊に巻き込まれ、左腕を失い、左目を炎に焼かれた、友人もまた両目を炎に焼かれ、何も見えない、痛いと訴えていた。
一学生がそんな重傷の応急処置を知るはずもなく、放っておけば二人とも死に至っていただろう。そこに旅人が通りがかり、友人の目の痛みを和らげ、ハイデンの傷口を縫い止め、唯一安全なターミナルへの逃走経路を伝えたのだ。
逃げる途中で擦り傷を負ったものの、光を失った友人の手を引いて、ハイデンは無事ターミナルまで辿りつく事が出来た。ターミナルには他にも大勢怪我人がいて、年端もいかない、恐らくはハイデンよりも若い女の子がちょこまかと動き回っていて、治療に当たっていた。
少女はハイデン達の方にも当然来ると、無表情で見つめてきた。こんなところで治療に当たっているのに、顔色一つ変えない少女に若干の恐怖を覚えたものの、そんな事を感じる余裕はなかった。彼女が何のためらいも麻酔もなく、ハイデンの焼けた左目をくり抜いた時に気絶してしまったからだ。
次に意識が戻った時には、家族全員で別のコロニーに移り住む事が決まっていて、ハイデンが目覚め次第出発、という事になっていた。人が無事でもここまで建物が崩壊してしまえば、生きていく事は難しい。ハイデンとしても異論はなかった。
移住する人々で溢れるターミナルで、搭乗待ちの間、左腕と左目を失った不便さを確認していたところに、コロニーを救った英雄とも言える彼は声をかけてきた。
「やあ」
ごちゃごちゃした複雑な模様の布をまとった旅人の後ろには、いくら放っておけば生死に関わっていたであろうとはいえ、自分の左目をくり抜いた女の子がいて、つい身を堅くしたのを覚えている。女の子は旅人の布の端を握って遠慮がちにこちらを見ていた。
「うちの子が君の瞳を取ったと聞いてね。なるほど、いい仕事だ」
何に感心しているのか、旅人はひたすら上機嫌だった。許可も取らずにハイデンの包帯を緩め、嬉しそうに傷跡を眺める。「いい仕事」かどうか、ハイデンには分からないが、目がなくなったというのに痛みはまったく残っていなかった。
「――がためらわず君を治療した事に僕は感動を禁じえないんだけど、さすがに取って終わりはと思ってね」
旅人は懐から何かを取り出した。空のように鮮やかな、水色の瞳の眼球を差し出す。
「受け取りなさい」
何故かハイデンはその言葉に、何の疑問も持たずに素直に従っていた。右手を出し、グロテスクにも見える美しい球体を受け取る。
受け取る。
「僕の宝物の一つだけどね、君にあげるよ。もう義眼になってるから、移住したら適当な医者にでも行って調整してもらいなさい。……ほら、――」
旅人に促され、遠慮がちにしていた女の子は、とてとてとハイデンに近付いてきた。視界がふさがっている左側に来たかと思うと、柔らかい感触が頬に押し付けられた。
“勝手に取って、ごめんなさい”
共通語以外の言葉で言われたため、なんと言われたのかは分からなかったが、再び旅人の後ろに女の子が戻る頃になって、ようやく頬にキスをされたのだと理解出来た。
「それじゃあね。これからの君の人生に幸多からん事を」
用事は済んだとばかりに背を向け、歩き出す旅人。女の子は一回ちらりとこちらを見て、すぐに旅人の後を追った。
目覚まし時計のアラームで夢が途切れた。目をこすろうとして、やたらと右腕が重く、また体の右側が妙に暖かい事に気付く。何があるのかと視線をやって、眠気が吹き飛んだ。
「る、ルイン!?」
何故かルインが自分の右腕を下敷きにして、すぐ隣で寝ていた。そりゃあ暖かく重いはずだ。しかし寝る時は別々の部屋のはずなのに、何故ここにいるのだろう。
「な、何でルインがここに……!」
「んー……?」
ハイデンの声で眠りから覚めたのか、ルインは体を少し持ち上げ、ごしごしと目をこする。ふわぁと大きなあくびをすると、半開きの目を向けてきた。
「うー、おはよー……?」
「お、おはよう。いやそうじゃなくって……! 何でルインがいるんだよ!」
こちらも身を起こそうとするが、支えるための腕は未だルインの下だ。下手に動かして妙なところに触れてはいけない。緊張しているこちらを知らず、ルインはのんきにもう一つあくびをした。
「えー? ハイデンがここで寝ろって言ったから寝てたんだけど……」
「……マジ?」
「うん」
全く記憶にない。いや、徹夜をしていないで寝ろ、と言う事ならよくあるから、それ自体は心当たりがあるのだが、一緒に寝ようだなんて口走るなんてありえない。情けない事だが、そんな理性をすり減らす行為をするような蛮勇を持つハイデンではない。
「……と、とりあえずどいてくれよ。朝食作らないと……」
理性を維持するためにも、人間としての生活を維持するためにも、起きて朝食の準備をしたい。しかしルインは不服そうに唇を尖らせた。
「えー……やだ、一緒寝るー」
そのまま体を落とし、ぎゅうっと右腕に抱きつき直すルイン。押し付けられる柔らかな感触に心臓が大きく跳ねる。
「お、おい!」
慌てて声をかけるが、既に寝入ってしまったようで、安らかな吐息しか聞こえない。こうなればしばらくは起きないだろう。軽く腕を動かしてみるが、貧弱なルインのどこにそんな力があるのか、まったく動かない。
「……あー、もう。襲われても知らないぞ」
呟くが、意識のない相手にどうこう出来る気概が自身にない事はよく分かっている。ハイデンは諦めて、大人しく抱き枕になる事にした。