Last Order
5 契約
ランドはその日、朝から上機嫌だった。待機時間で暇ということもあり、携帯端末を見ては、ニヤニヤとする。ゲームでもしようとアプリを開き、しかししばらくすると戻ってまた笑みを深くする。
「ウザいニヤつくな仕事しろ」
「あたっ」
そんな事を繰り返していると、後ろから頭をはたかれた。後頭部をさすりつつ見上げれば、古風なフォーマルスタイルのスーツに身を包んだ女性が、コーヒーカップ片手に呆れた様子で見下ろしてきていた。女性の方が背が低いのだが、今はランドがソファに座っているため、見下ろされてしまう――見下されているのかもしれない。
「何だ、クーさんですか」
「何だじゃないわよ。ああイライラする、私の前であまり幸せそうな顔しないで」
女性、クーの言い分は酷いものだが、これがいつもの彼女なので仕方ない。この仕事を始め、オールドグレイブに入った当初はかなり面食らったが、今はもう慣れてしまった。
「仕事はちゃんとしてますよ。ってか今日は暇ですし」
「ハスタールがデータ整理の相方を探していたわよ」
「俺肉体派なんで!」
「最低」
いい笑顔で返せば冷ややかに言い捨てられた。そう言うクーも、ハスタールを手伝う気はないのだろう。データ整理という地味で面倒な作業を彼女は好まない。事務仕事はいいのか、と思わなくもないのだが、隊長のためにやっている分にはいいのだろう。
「それで恋人からお手紙? 妬ましいわね」
「勝手に決め付けるのは止めてくださいよー。そんなんじゃないっすよ、ちょっと粉かけてみた相手から反応があっただけっす」
「似たようなものじゃない。最低ね」
実際はまた違うのだが、下手に言うと背びれ尾びれがついた噂を流される。そして冷やかされる。その展開は避けておきたい。ランドがからかわれるだけならいいのだが、相手にまで何かしら伝播するのはよくない。
「それじゃあ私はもう行くから。あまりサボらないできちんと仕事なさいよ」
「うぃーっす。クーさんも団長の世話頑張ってください」
クーは答えず、黙って部屋を出ていく。その背にひらひらと手を振って、ランドはもう一度携帯の画面を見た。
簡素な用件だけの文。しかしその文字数以上の価値がある一通のメール。
「……楽しみだなぁ……」
早く行きたくても退勤までまだ時間がある。こういう時仕事があればあっという間に時間が過ぎるのだが、今日に限ってランドが出るまでもない仕事ばかりだった。
仕事も少なかったため、定時になってすぐ、ランドはオールドグレイブを出て旧市街へと向かった。マザーのお膝元である中央や、店が連なる繁華街と違って、再開発の進まない旧市街は錆びた鉄のにおいがする。人があまり住んでいないために生活感も薄い。
指定された通りに細く入り組んだ路地を進む。空は見えるのに薄暗い雰囲気になり、自らの足音意外に耳に届くものはない。かつて地球に存在した廃墟はこんな感じなのだろうか。
かなりの時間と距離を歩き、そろそろコロニーの端ではないかと危惧する頃、ようやっと自分以外の人影を見付けた。
「……お前か」
顔の左半分を長い前髪で隠した、ランドよりも頭一つ分小さい、小柄な青年だった。線が細く、生命力も薄いように見えるが、空色の右目でギロリとこちらを睨んでくる。明らかに歓迎する雰囲気ではないが、ランドは気にせず、笑顔で近付いた。
「おう、俺がランドだ」
「……証拠は」
入り組んだ場所に呼んでおいて、他に誰もこんなところにこないだろうに、用心深い事だ。ランドは携帯端末を出すと届いたメールを見せた。青年はしばし画面を見た後、背中を向ける。
「ついてこい」
どうやら認めてもらえたようだ。携帯端末をしまい、後をついていく。しばらく歩いた行き止まりの、錆びまみれの扉を青年は開いた。特に軋んだ音は立たなかったため、そういう風に見えるよう細工してあるのだろう。
「入れ」
「はいはい、お邪魔しまーす」
暗く細長い廊下を少し歩くと、後ろで鍵をかける音がした。ランドが逃げる事を警戒している――という風には感じなかった。聞こえた音は伝統的で物理的なキーロックのもので、開けようと思えばすぐ開けられる物だ。そもそも内鍵ならば壊すまでもない。だから外にいる誰かが入ってくる可能性を嫌ったのだろう。
そうやって警戒する理由が青年にはあるらしい。マザーの管理する公的な施設で、エイリアスをかけているなんてまっとうな相手ではないと分かっているが、どんな理由があるのかとつい考えてしまう。
しかし問いかける事もなく、特に会話もなく廊下を進む。しばらくして、元は広かったであろう、今は配線に床も壁も覆われている部屋に出た。
「適当に座れ」
と言われても、床は配線が蔦のようにうねっていて、とても座れるような状態ではない。椅子は一人がけのソファぐらいしかないが、家主をさしおいて座っていいものか。悩んでいると、睨みつける視線が鋭くなってきたので、肩をすくめてソファに座った。
「……それでお前、あれは本当か」
「どれ?」
「はぐらかすな。MCの事だ」
「ああ――」
相手の方が小柄と言え、座れば当然目線の位置が逆転する。座ったランドを見下ろして、目当ての物を聞いてくる相手に、ニヤリと笑ってやる。
「本当だ。俺はマザーコードを知ってる……ていうか持ってるぜ」
青年は目を細め、いぶかしげにランドを睨む。その反応も無理はない、すぐに信じろという方が無茶だ。
マザーコード――世界を管理する人工知能、マザーと同等の権利を持つ事が出来ると言われている、特殊なプログラムの事だ。犯罪スレスレの、あるいは犯罪そのものの活動をするハッカーにとって、手に入ればこれほど心強い切り札はないだろう。
しかしながら、言われている通りの機能を持つマザーコードは、今まで作り出された事もなければ、見つかりもしていなかった。大概が名前だけの偽物、それもトラップ機能や盗聴機能がついた悪意のあるプログラムばかりだ。青年の警戒ももっともである。
「証拠は。あるのか」
「現物を持ってきた。ま、でもダイブして見た方が早いと思うぜ?」
「……え?」
ウェストポーチからデータカードを取り出し、青年に差し出す。その対応がよほど意外だったのか、維持していた敵対的な雰囲気を崩して、青年は目を丸くした。一気に幼く見えたのもつかの間、すぐに気を取り直し、睨み直してくる。
「そんな簡単に渡せる物じゃないだろ」
「証拠見せろって言ったのはそっちだぜ?」
マザーコードの実物を見せようというのだから、これ以上ない証拠のはずだ。それなのに疑ってくる青年に質問を返す。彼はしばらく黙っていたが、ランドの手からデータカードを取った。
「……変なトラップを仕掛けていたら殺す」
「おう、楽しみにしてるぜ」
脅しを受け流し、にひひと笑う。それが不愉快だったのか、青年は眉をひそめ顔を背け、側のモニターと向かい合った。データカードを差し、慣れた手つきでコンソールを操作する彼は、しかしすぐにランドの顔を見た。
「おい」
「そ、中見れないの。ふざけてるよなー」
現在世に流通しているデータのほとんどは電子媒体で、このようにカードなどの物理的な容器に収まっている事はない。その数少ない物理的な容器で配布されているデータは、書き換えの可否に関わらず、どんなファイルが入っているのか、一覧だけでも見れるようになっているものだった。
しかしこれは見る事が出来ない。閲覧はおろか、フォーマットすら出来ないデータカードは、現代において相当な異物だ。
「お前が作ったんじゃないのか?」
「いや、もらったんだよ。親切な人がいてなー」
「……ありえない。ふざけている」
「でも本物だぜ?」
中は見れなければもらった相手の名前も分からない、怪しさしかないデータカードだが、中に入っているのは紛れもなく本物のマザーコードだ。実際に使っているランドはよく知っている。
青年は画面を睨んでいたが、しばらくするとコードを繋ぎ直し始めた。
「お? 何してんの?」
「……ダイブした方が早いんだろ。その準備だ」
「手伝うぜ?」
「いい。触るな。じっとしていろ」
ギロッと睨まれる。誰しも自分の商売道具を、信用出来ない相手に触られたくないだろう。当然の反応に肩をすくめつつ、大人しく青年の手がせわしなく動く様子を眺める。
小柄な外見相応の大きさの手がコードを抜き、別の色のコードを差す。長い袖で隠されていたが、動かせば細くて骨ばった手が見える。華奢――というよりは、貧弱な印象を受けた。
数分ほどで作業は完了した。こちらに出されたバイザーを受け取る
「これ被ればいいの? ……あ、データカード返してくれよ。あれ、こっちが持ってないと駄目なんだわ」
一瞬いぶかしむような目で見られた物の、逃げる場所もないからか、すぐにデータカードが突っ返される。ランドはバイザーと自らの端末を繋ぎ、端末にデータカードを差し込んだ。
「準備出来たぞー」
バイザーで遮られた視界の向こうでコンソールを叩く音がする。すぐにプツッと意識が途切れた。
広大な空間に放り出される感覚。夢に落ちるよりも明確なそれを感じながら、果てなく広がる電子空間にランドは降り立った。まず最初に行ったのは、自らに付与されている効果を確認する事だった。普段は自分で設定してからダイブしているが、今回は相手任せだ。
ステルスにエイリアスに、不法侵入しても大丈夫な効果がごってりついている。予想は出来ていたが、実際確認するとつい笑ってしまった。警戒心が強いなぁ、と思う。
現在座標を確認してから青年を捜すが、周りには誰もいない。不思議に思っていると、すぐ側にコンソールが開いた。
『何をきょろきょろしてるんだ』
「ん、あれ、もしかしてダイブしてねぇの?」
『それがどうかしたのか』
モニターに書かれる文字を見て、がりがりと頭をかく。ダイブしないハッカーを見たのは初めてだ。直接見た方が早いからダイブを提案したというのに。まあ、こちらの様子をモニタリングしているようだから、問題ないだろう。
『それで、どう証明するつもりだ』
「マザーの管理施設に行きゃ分かるよ。どこがいいかなー」
しばしの間。迷っているのか発言を咀嚼しているのか、すぐに返事はなかった。
『アーカイブ群』
「そこでいいのか?」
『早く行け』
そんなところでいいのかと疑問に思うが、急かされてランドは歩き出した。アーカイブ群――図書館の形を模したその場所の座標は覚えている。今いる地点からだと少々遠いが、電子空間上で移動による疲れは発生しない。
電子空間であるがゆえに、一瞬で長距離を飛ぶ事も可能だ。しかしそういった移動は痕跡を残してしまう。通常目には見えないが、知識のある者が調べればすぐに分かるログだ。そういった懸念材料は少ない方がいい。多少時間がかかっても歩く方を選んだ。
移動を始めてしばらく、高いフェンスに囲まれた巨大な電子図書館が見えてきた。人間が認識しやすいように設定された姿は、不法侵入者を拒んでいると分かりやすく示している。
『それでどうするんだ』
「ま、見てろって」
ランドは空中に円を描き、マザーコードを呼び出した。古風な鍵の形をしたそれを握り、フェンスに近付く。
『おい』
「大丈夫だって」
フェンスに巻き付いている有刺鉄線は、警報装置を視覚化しているに過ぎず、触れても痛みを感じる事はないし、すり抜ける事も出来る。だが当然触れば不法侵入者の存在をを知らせるべく、警報が鳴る。
しかしランドがすり抜けても、警報装置は作動しない。何事もないかのように静かなままだ。
『……どういう事だ』
「見たままだって。ああ、言っとくけど俺は呼び出し以外は何もやってないからな」
念のために敷地の外に出てから告げれば、また間が空く。疑っているのか、信じられないのか。どちらでも無理はない。ランドもこれを初めて使った時は、我が目と意識、プログラムの誤作動を疑った。
『ログアウトしろ。アリアドネの糸は使うな』
「はいはい、分かりましたよっと」
しばらくして出されたのはそんな簡潔な指示だった。逆らう理由もないので、大人しく従い、来た道を戻った。
アンカーからログアウトし、意識を現実に戻す。バイザーを外せば、ずっとこちらを睨んでいたのか、青年と目が合った。
「説明しろ」
「はいはい」
端末からデータカードを取り出す。何の変哲もない外見のこのデータカードの中にマザーコードがあるなんて、誰も思わないだろう。
「マザーコードっても、どうも噂されてるほどすげぇ権限はないみたいなんだよな」
「……マザーと同等の権限は得られないのか」
「おう。出来るのは制限されてるとこに入るぐらいだ」
青年は眉をひそめた。詳しい解説が求められているのだと勝手に解釈する。
「たとえばさ、おまえが特殊なロックをかけたプライベートスペースを作るだろ? でもこれを持ってると問答無用で入れるわけ。警報とかも全部無視してな」
「――どこにでも、入れるのか」
「俺が試した範囲じゃどこにでも行けたぜ。図書館じゃなくって一般公開されてないアーカイブあるだろ? あそこだって行けたし、ガーディアンの詰め所も余裕だったな。流石に本体と接触する勇気はなかったから引きかえしたけど、中央にも入れたし」
青年は黙ってランドの話を聞いている。眉をひそめたままなので、これは期待外れだったかと、肩をすくめた。
「期待外れだったか? そりゃそうだよな、地味だし――」
「――いや、充分だ」
距離を取っていた青年が、ソファのすぐそばまで近付いてくる。データカードを持った手をじっとみていた。
「どこにでも入れるなら文句はない。そういうのの方が、ずっといい」
どうやらお気に召してもらえたようだ。先程の沈黙は落胆からきたものではなかったと、少しほっとする。
「それはお前にしか効果がないのか?」
「ん、どうだろうな。誰かと一緒にいる時に使った事ねぇからさ」
マザーコードを持っている、なんて公言すれば、様々な厄介ごとに巻き込まれるだろう。だからランドは一人の時にしかマザーコードを使ってこなかったし、ごく一部の例外を除いて所持していると教えた事もない。
「そうか。……いや、試せばいいだけか。警報のついていない管理区域なんてごまんとある……」
青年はしばらくブツブツ言っていたかと思うと、まっすぐランドの目を見てきた。
「パートナーになれと言っていたな。それが交換条件か」
「そうだな。一人だと限界があるなーって思ってたところでさ。……あ、でもお前の目的って何だ? テロとかならちょっと」
マザーに異を唱える人間は、現代においても少なからずいる。ランド自身はマザーの統治に不満を持っていないため、そういった人物達に協力するつもりはなかった。まあ、そういう心配がなさそうだから彼に声をかけたのだが。
「ああ、別に言いたくなけりゃいいぜ。反社会的行為に直接繋がらなけりゃ何でもいいさ。で、ついでに俺の目的にも協力してくれればそれでいい」
おそらく、カンだが、彼はランドが求めている手段を持っている。そして彼が求める手段をランドは持っている。利害は一致する。
青年はしばらく口を閉ざしていたが、自らの右手に左手を重ねた。
「……お前が俺を裏切らないなら、俺もお前を裏切らない。その契約に乗ろう」
「あれ、目的聞かねぇの?」
「別に。お前の目的がなんだろうと俺には関係ない。裏切りさえしなければ、どうでもいい」
そういう事なら答えは決まっている。ランドは立ち上がると右手を差し出した。しかし青年は不思議そうに、出された手を見ている。
「……あれ?」
「……何のつもりだ?」
「何って、握手。これから一緒にやってくわけだろ? その第一歩にさ」
目的を説明する。握手は好意を示す、分かりやすく汎用的な手段だ。だが聞いてもまだ青年は不思議そうな顔をしていた。
「……握手って、何だ?」
「へ?」
予想外の答えに、ランドもきょとんとしてしまう。握手を知らない人間がいるなんて、世の中は狭いようで広い。
「あー、えっと、右手出せ、右手」
「……ん」
少し躊躇ってから出された右手に、自分の右手を合わせ、軽く握る。思い切り握れば折れてしまいそうだ。
「これが握手。よろしくな」
笑いかければ、青年はしばらく戸惑っていたが、おずおずと握り返してきた。細い枝のような指が、手の肉をわずかに圧迫する。
「エイテル」
「え?」
「エイテル。俺の名前だ。……その、よろしく、ランド」
「ん、おう! よろしくな、エイテル!」
目的はまだ、互いに教え合わないままだったが。不利益になるような関係にはならないだろうと、そう思った。