Last Order
4 依頼
「シュウ、シュウ、朝。起きる」
「……んん……?」
かけられた声と揺さぶられた肩に眉をひそめる。薄く開けた瞼から見える景色が、起きたての思考回路に疑問を生じさせる。
「あれ……?」
「おはよう」
「あ、えっと、おはようございます。……あれ?」
ごしごしと目をこする。こちらの顔を覗き込むカムロはいい。彼はいつもシュウより早く起きて、シュウを起こしに来るからだ。それはいいのだが。
「……何で僕こっちに……?」
何故か自分の寝室ではなく、カムロの寝室にいた。東方の文化だという畳の匂いがする。たまに「寝れないから」とカムロがシュウのベッドにもぐりこんでくる事はあるが、シュウはやらない。寝るなら自分の部屋がいい、というのもあるし、東方の床に布団を敷いて寝るスタイルがなじまないと言うのもある。
「えっと、確か昨日、色々試してて……」
入浴を済ませた後も試行錯誤していたが、そこから先の記憶がない。こめかみをつついていると、カムロが口を開いた。
「寝てた」
「あー、寝落ちしちゃってました?」
「うん。だから俺の部屋に連れてきた」
「何でそうなるんですか……」
毛布をかけるとか、シュウの寝室に運ぶとか、そういう気遣いを選んでほしい。わざわざカムロの部屋に運ぶ必要はないだろう。カムロはシュウのげんなりとした言葉に、二、三度まばたきをした。
「何もしてない」
「当たり前ですよ、何かしてどうするんですか」
可愛らしい女性を連れ込むのならともかく。シュウは男だし、可愛くもないし、図体も小さくない。
立ち上がるが、布団で寝たためか、体の節々が痛い。やはり自分はベッドがいいと思った。
一通り朝の準備を済ませてからリビングに向かうと、既に朝食の準備は終わっていた。白米に焼き鮭、味噌汁と卵焼き。椅子に座り、手を合わせる。
“いただきます”
“いただきます”
唯一覚えている東方の言葉を言い、朝食が始まる。
あまり自分から意見せず、大抵の事はシュウに譲るカムロだが、いくつかどうしても妥協しない点があった。その一つが食事のルールだ。
必ず二人で食べる。別々になるのであれば連絡する。二人とも席に着くまで勝手に食べない。出された食事は量が多い時や体調が悪い場合を除き完食する。シリアルやヨーグルトなどの簡単な食事で済ませない。食べる前に“いただきます”と言う。間食や夜食、外食は控える。
細かいルールは他にもある。朝と昼は簡単に済ませ、夜は外食で片付けていたシュウは、かなり面食らった。今まで見た事もない箸を使う練習もさせられた。
「……東方の人って、よく朝からこれだけ作れますよね」
「ご飯炊く間に全部出来る」
「僕はシリアルだけでいいですよ……」
「コーンフレークは腹にたまらない。しっかり食べないと、元気出ない」
確かに、きちんと朝食を取るようになってから、作業効率は上がったのだが。毎朝これだけ用意するカムロには頭が下がる。
「あ、そうだカムロ。僕、出かけるので、昼は外で食べます」
「……どこ行く?」
「昨日のあれ、やっぱり僕には分かりそうにないので専門家に頼ってきます。留守番よろしくお願いしますね」
「ん……うん、分かった」
自分もついていきたい、という顔をしていたが、無視しておいた。カムロがいると、外食も好きに出来ない。パートナーだからといって常時一緒にいてはストレスが溜まってしまう。
「夜食べる?」
「流石に晩御飯まで帰ってこない事はないですよ。遅くなりそうだったら連絡します」
「ん」
あたたかい味噌汁をすする。ふと、味噌をお湯で溶くだけのものと、シリアルの手軽さに何の違いがあるのかと思った。
アポイトメンともとらずに突然来るなんて、てっきり見知った顔だと思ったのだが。ハイデンの予想に反し、現れた依頼者は見覚えのない青年だった。男にしては長い金髪と、幼さが抜けない中性的な相貌が目を引く。
「貴方のお名前とご用件は?」
しゃんと背を伸ばしたルインが聞く。クライアントと向かい合っている時のルインは、普段のだらしなさが嘘のようにきちんとしている。いつもこうであれば、ハイデンの手もかからないのだが。
「あっ、えっと、僕はシュウです。その、プログラマーのルインさんに、複合化をお願いしたいファイルがあって……」
ややおどおどとしながらも、肩掛けカバンの中から青年、シュウは一枚のカードを取り出した。小型の、よく用いられる記録媒体だ。
「これなんですけど、僕の手持ちの複合化ソフトじゃ読みとれなくって……」
カードを受け取ったルインは、意味もなくくるくると回して多角度から観察する。そんな事をしても記録媒体の中にあるデータが見えるわけではない。ルインの癖の一つだ。
「ちょっと見させてもらいますね」
ルインは、起動していたコンソールの中にデータディスクを差し込んだ。するとモニターにずらっと記号めいた文字が現れる。
「これ、どこで拾いました?」
「アンカーについていたんです。だから、元々どこにあったかは……」
「……アンカーに……」
難しい顔でモニターと向き合うルイン。数分ほどそうした後、シュウに顔を向けた。
「うーん、どのくらいかかるかちょっと読めないです。それでもいいですか?」
「あ、はい、構いません! よろしくお願いします!」
シュウは深々とルインに頭を下げた。
「……あれ、もうこんな時間か」
夕飯と入浴を済ませ、リビングでまったりとしていたら随分時間が経っていた。そろそろ寝なければ明日の朝に支障が出る。読んでいた電子書籍にしおりを挟み、電源を落とす。
と、そういえばルインは風呂に入ったか気になった。依頼人が帰ってすぐにルインは作業を始めた。昼食と夕食の二回、ハイデンが部屋から引っ張り出したほかに、彼女の姿を見ていない。
こういう時は大体相場が決まっている。ハイデンは頭をかくと、作業部屋の扉をノックした。
「はぁーい?」
「ルイン、そろそろ寝ないと」
「んー、あー、そうだねー」
生返事。ため息をついて、聞こえていないだろうが「入るぞ」と一言断ってから扉を開けた。予想通り、ルインは人間業とは思えない速度で自分の周りに並べたコンソールを叩いていた。目はモニターに釘付けで、こちらを意識している様子はまったくない。
肩をすくめる。大分矯正したのに、仕事になるとルインは途端に時間と生活を忘れる。あっさり生活リズムを崩して、自分が機械か何かのように仕事を続けるのだ。
「ルイン」
「わひゃっ?」
頭を掴んでこちらを向かせて、初めてルインはハイデンに気付いたようだった。目を丸くしてハイデンを見上げている。
「あれ、ハイデン? 何?」
「何、じゃねぇよ。そろそろ寝る時間だろ?」
壁にかかっている時計を見て、ルインは明後日の方向に目をそらした。
「私の部屋の時計、一時間ぐらい進んでるの」
「すぐに分かる嘘は止めろよ」
旧時代から精確さに定評のあるクォーツ時計がそうそう狂うはずがない。また、自動で指定されたタイムゾーンと同じ時刻に合わせる機能もついている。どうせ仕事に没頭して時計なんて見ていなかっただろうルインは、眉尻を下げた。
「うー、でももうちょっと……」
「はいはい、明日な明日。今日はさっさとシャワー浴びて寝なさい」
「うにゃっ」
椅子をくるりと回転させ、ルインの腹に右腕を回す。そのままひょいと抱えあげた。ルインはバタバタと足を動かすが、ハイデンの趣味は読書に家事に筋トレだ。日がな一日コンピュータの前に座っているだけの、完全インドア人間に負けるような鍛え方はしていない。
「ハイデンちょっと、仕事、仕事がぁー!」
「だーめ。ちゃんと寝るまで見てるからな」
「ううう、別に私、三日ぐらいなら不眠不休でも……」
「そんな生活続けてたら倒れるって」
人間は多少寝なくても動けるように出来ているが、そういう前提で体が作られているわけではない。そんな徹夜が当たり前の生活を続けていたら、いずれ体を壊してしまう。そんな生活は許さないとルインを脱衣所に放り込み、扉を閉めた。出てくるまで待とうと壁に寄りかかり、少ししたところで控えめに扉が開いた。
「ハイデン」
「何?」
「……背中。下がんない」
「……ああ」
そういえば今朝もファスナーが上がらないと頼みに来ていた。くるりとルインは背を向け、無防備な姿を晒す。決してルインの警戒心のなさだけではなく、信頼されているからこそ背中を見せているのだと分かっていても、煩悩は勝手に疼いてしまう。自分自身に眉をひそめながら、ハイデンはファスナーに手を伸ばす。
「お前、自分で着れる服選べよな」
「え、ハイデンが着せてくれるって言ったから買ったんだけど」
「……そうだっけ」
「うん」
思い出せない。いや確かにファスナーにはロマンがあるよなぁ、と考えていた事はあるが、そんな事言っただろうか。考えている内に、煩悩に惑わされる隙もなくファスナーが下がりきる。
「ほら、下ろせたぞ」
「ん、ありがと」
ぱたんと扉が閉まる。ルインが風呂を出るまでの間、暇と余計な煩悩を潰そうと、先程閉じた電子書籍を開いた。