Last Order
3 日常
カーテンの隙間から日差しが入り込んでくる。控えめに鳴り始めたアラームを止め、ハイデンは大きく伸びをした。
大きくあくびをしてからカーテンを開ければ、澄み渡った青空と心地よい陽気が出迎えてくれる。コロニーの天井に映されたイミテーションだが、偽物でも空が見えるのと見えないのとでは気分が大きく違う。もっとも、ハイデンは本物の空を見た事がないのだが。
もう一度伸びをして、手早く服を着替える。義眼がいつも通り問題なく動く事を確認して、自室を出た。隣の部屋の扉をノックする。
「ルインー、朝だぞー」
声はかけれど返事はない。まあ毎朝の事だ。一階に下り、朝食の準備を始める。
パンをトースターに入れ、ヤカンをコンロにかけて湯を沸かす。ジャムやバターなどをテーブルの上に並べていると、ズドドドドドンッ!と派手な音が階段からした。苦笑して、準備を中断して廊下に向かう。
「あたた……」
扉を開ければ、階段の下で尻餅をついているルインの姿があった。ああ、やっぱり階段を踏み外したんだな、と手を差し伸べる。
「おはよう」
「……あはは、おはよ、ハイデン」
ルインは恥ずかしそうに笑い、手をとってくれた。
ハイデンがルインと暮らし始めてもう一年ほどになる。まだハイデンがハッカー集団オールドグレイブに所属していた頃、請け負った仕事でたまたまルインとはち合わせた。それが出会いだ。
使われていないデータバンクに住み着いたウィルスの掃討。難しい仕事ではなかった。かつてオールドグレイブの団長の右腕として行動していたハイデンの実力は確かなもので、大抵の仕事は難なくこなせる。
ところが、オールドグレイブのみに依頼が来たわけではなかった。複数箇所に依頼を出すという行為は推奨されていないが、掃討の場合はその限りではない事がままある。ルインもまた、そのようにしてウィルスの掃討を依頼されたハッカーだった。
複数人の、所属が違うハッカーが同じ依頼を遂行すれば、問題が発生しやすい。誤射もあれば、どちらが多く討伐したかでもめ事になるなんて事もよくある。どうしようか迷っていたハイデンに、ルインはさらりと提案した。
「目的は同じなんだし、一緒に仕事しようよ」
問題が起きないのならと承諾したのだが、その選択が一番の転機だったのは間違いない。
仕事は簡単だった。ハイデンの実力からすれば簡単だったというのもあるし、ルインの使ったワクチンが非常に効果的だったという事もある。
それに何より、相性が良かった。ルインのサポートは的確で、こちらが動きやすいように合わせてくれる。初対面なのに、まるで数十年来戦ってきた相棒のような、そんな錯覚を覚えたものだ。
それからというもの、仕事先でルインと会うケースが多くなった。丁度ハイデンのパートナーが忙しかったこともあって、二人でよく仕事をした。
偶然でも重なれば運命めいたものを感じる。仕事が終わったならさっさと帰ればいいものを、だらだらと話す事もよくあった。帰っても仕事がなかったというのもあるし、ルインが付き合ってくれるから甘えたというのもある。
その十何度目かの事。
「そういえば、ルインはパートナーはいないのか?」
順調に仕事を終えた後、ハイデンはそうルインに聞いた。
前々からの疑問だった。本職はプログラマーだと話すルインだが、ハッカーとしての実力もかなりのものだ。優秀なパートナーを望むハッカーは多くいる。引く手数多、選びたい放題だと思うのだが、ハイデンと出会うルインはいつも一人だった。
「んー、前はいたんだけどねぇ。向こうが運命の出会いを果たしたとかで別れたんだよ」
「へぇ?」
「ビジネスライクな付き合いだったから未練はないんだけどね。今はハッカーの仕事するついでに本業に付き合ってくれる人探してるの」
「ま、なかなかいい人いないんだけどねぇ」とルインは苦笑した。パートナーを探す者は、多くが自分を主体として考える。プログラマーのパートナーだなんて自分の性には合わないと考えるハッカーも多いだろう。
「そういえばハイデンは? パートナーいるの?」
「え? あー……」
問い返されて返答に詰まった。いるには、いるのだが。
「一応いるぜ。最近は別行動が多いけどな」
団長職が忙しい事もあって、名ばかりのパートナーになりつつある。ハッカーとしてならともかく、そちらで支えられるハイデンではなく、一人で行動する事になってしまっている。
「ふぅん、そっかぁ」
残念そうな声だった。ルインは笑って言葉を続ける。
「ハイデンってオールドグレイブにいるんだよね。いい人いたら紹介してくれない?」
「ん……」
オールドグレイブにはシングルで活動する者も多い。性格的にも、実力的にも評価される者はいるから、紹介するのは難しくない。難しくはないが――
「……俺じゃ駄目?」
ハイデンはそう言っていた。ルインはきょとんとして首を傾げる。
「パートナーいるんでしょ?」
「いるけど」
「え、でも浮気はよくないよ。……んん、それを言ったら手伝ってもらってる現状も含まれるんだろうか……うーん……」
世の中にはパートナー……複数抱える器用なハッカーもいるが、ハイデンはそうではない。一般的にも、余計ないざこざを避けるために、パートナーは一人であるべきだとされている。ルインの言う通り、何であっても浮気は悪しだ。だから、
「向こうと別れる。駄目か?」
そう提案すれば、ルインは困ったような顔になった。親指をすり合わせ、口を開く。
「駄目、じゃないけど……ハイデンがパートナーになってくれるならうれしいしありがたいけど、でもいいの?」
「今のパートナーは成り行きでなったようなものだからさ。それに、向こうは当分ハッカー業再開出来なさそうだし。選べるならルインがいいよ」
元々、組んだ理由はお互い実力が近いからだ。長い付き合いで互いの癖は知っているが、抜群に相性がいいというわけではない。
「ん、……」
ルインは膝を抱えてしまった。目線を床に向け、爪の先を弾きながら、もじもじと身じろぎしている。しばらくして、ルインは目線だけをこちらに向けてきた。
「……本業のサポートがメインだけどいいの?」
「別にいいよ。手伝える事があるなら手伝う」
「ウィルス退治とかあまりやらなくなるし、毎日つまんないかもしれないよ。それでもいいの?」
「んー、別に特別好きってわけでもないしなぁ。ルインと一緒に仕事出来る方が嬉しい……おわっ!?」
いきなり飛びつかれた。後ろに倒れそうになる身体を、右手をついて支える。
“神様、この出会いに感謝します”
「え?」
「ううん、何でもない。……これからよろしくね、ハイデン」
そうして。
ハイデンは、幼い頃から共にいたパートナーと別れ、ルインを選んだのだ。
まあ、パートナーを解消することについては理解を得られたのでいいのだが、ついでとばかりにオールドグレイブを脱退させられたのには参った。ルインのパートナーとして行動する以上、オールドグレイブの仕事があまり出来なくなるのは想定内だったのだが。
問題は、住居だった。ハイデンはそれまでオールドグレイブの団員に提供されている寮を使っていたため、離団すると引っ越さなくてはならない。マザーから提供される物品とは違い、住居は環境や設備の問題があるため、すぐに決めるというわけにもいかない。
困ってルインに相談すると、あっけらかんと彼女は言った。
「ならウチに住めばいいよ。ウチ広いし」
……パートナーが同居する、という事例は珍しくない。電子空間上において、物理的な距離は何の意味も持たないが、トラブルが発生した時に現実で助ける事が出来るのはそばにいる者だけだ。
だからルインの提案は不自然ではないのだが、何しろ男と女である。現実ではまだ一度も会っていない段階だという事もあって、かなり戸惑った。
しかし都合よく住む場所が見つかるわけもなく期限を迎え、結局ルインの厚意に甘えたのだが。そうしてようやく、彼女があっさりと同居を言い出したのかよく分かった。
「ハイデンー」
朝食が終わり、使った食器を洗浄器に入れていると、部屋に戻って着替えてるはずのルインがやってきた。
「何?」
「背中ー。あがんない」
ルインはくるりと背中を向けた。分厚い生地で出来た長袖流すカートのワンピースの背面にファスナーがあり、中途半端に上がったままだった。傷のない真っ白な背中が覗いている。
「……ん、分かった」
肌を指先でなぞりたくなる衝動を抑え、ファスナーを上げる。
「終わったよ」
「ありがとー」
ルインは礼を言い、戻ろうとする。その背に口を開き、閉じ、結局また開いた。
「……ルインさ、いつも言ってるけどブラぐらいつけなよ」
うなじから腰にかけて今日も何もなかった。この一年、定期的に言っている台詞に、ルインはくるりと振り向いて口を尖らせた。
「えー、あれ苦しいからやだ」
「さらしは?」
「さらしはいいの」
ルインの胸は大きな方だ。それなのに、ブラジャーをつけたがらない。さらしなら巻く時もあるが、一週間に一度あるかないか。それだってルイン一人でつけた記憶がない。ハイデンのところに手伝ってくれと頼みにくるのだ。
今は厚い生地の、露出が低い服を着ているからまだいいが、当初は朝から晩まで薄い男物のワイシャツ一枚で過ごしていて大変だった。上の方のボタンをあける癖があるくせに、よく前かがみになるせいで、酷く扇状的で、よく襲わず耐えられたな、と自分で自分を誉めてやりたくなる。
ハイデンがルインと同居を始めて、まっさきに驚いたのが、ルインの生活習慣だった。徹夜は当然、食事を忘れるのもしょっちゅうで、シャワーを浴びても汗を流す程度。物は散乱していなかったが、それは単に必要最小限の物も買いこんでいなかったからで。オールドグレイブという組織の歯車として、規則正しい生活を送っていたハイデンが面食らうほどの生活放棄っぷりだった。
ただ、それはだらしない、というよりは、ルインが自身に対して無頓着だという方が正しかった。自身が不快でなく死なない程度の生命活動さえ送れればそれでよく、無欲にも等しい勤労意欲で画面と向き合い続ける。まるで自分の価値はそこにしかないとでもいうかのように。その姿勢は、かつて地球上にいたという生物レミングス、あるいはワーカーホリックという死の病を連想させた。
一方で、他者に対してはとても気が利く。休んでいるハイデンを邪魔しないし、ハイデンの分の食事を用意していた事もある。他人のためになら動けるのだろう。
同居を始めて三日で、ハイデンはルインの生活習慣を矯正すると誓った。こんな生活を続けていたら、いつか身体を壊して死んでしまう。パートナーとして、友人として、同居人として見過ごせなかった。
朝に起こし、昼に食事をさせ、夜はきちんと風呂に入らせてから寝かす。着たきりスズメは止めさせ、下手に他者――もっぱら自分――を刺激するような格好は避けさせる。最初の数週間はかなり手を焼いたが、今はこの通り、かなり定着している。
……後は下着に関する考えと、自分に対する無防備さを何とかしてくれると、とても安心出来るのだが。約一年、全く手を出さなかったのか、それとも出せなかったのか自問自答を繰り返せるぐらいには、隙が多かった。
「苦しくないやつあるだろ?」
そう聞けば、ルインは首を傾げた。
「あるの? 前に買ったのはすごく苦しかったんだけど」
「そりゃサイズが合ってないだけだ。どうせ通販だったんだろ? 店に行って選んでもらえよ」
「んー、ハイデンも行くなら行く」
こういうところを何とかしてほしい。パートナーではあるが、あくまで仕事上だけのものだ。同居していると言っても過剰に互いの生活に干渉しているわけではない。女性物の下着の買い物の付き合いなんて、恋人であってもめったにいかないだろうに。
どう返答しようか迷った一瞬に割り込むように、ベルが響いた。この家に来る来訪者は多くないが、それでも依頼者用と通常客用で分けてある。この音は依頼者の方だ。
「誰だろうね?」
「さあな」
アポイトメントは取られていないが、なければいけないものでもない。下着店への同伴がうやむやになった事に内心安堵しつつ、ハイデンは来客を迎える準備を始めた。