Last Order

7 次の一手

 複合化の依頼をしてから数日、シュウは難しい顔でコンソールを叩いていた。調べれば調べるほど分からなくて、眉をひそめる。
「んー……?」
「シュウ、ご飯」
「ああ、すみません、今行きます」
 壁の時計を見れば午後の六時を回っていた。コンピュータをスタンバイ状態にしてリビングに向かい、席に着く。
“いただきます”
“いただきます”
 手を合わせていつもの言葉を言ってから焼き魚を口に運ぶ。相変わらずカムロの作る料理は美味しい。欲を言えば魚ばかりでなく、もう少し牛とか豚とか鳥とか、要は肉が増えればいいのだが。
「そういえば何してた?」
「え、何の話ですか?」
「さっき。ダイブしてなかったから」
「ああ……こないだのファイルの事で、ちょっと調べ物です。久々にセカンドアークに行きましたよ」
 セカンドアークは二十世紀の頃からあるという大規模匿名掲示板だ。そういう文字の情報を見るだけならダイブしない方が早い。特にセカンドアークは、巨大で匿名という性質上、荒らしや叩きも山のようにいるため、下手にダイブして行くと、目的の情報を見つける前にそういった言葉達に疲弊してしまう。
「複合化は頼んだんだろ?」
「それとは別の事です。何で僕のアンカーにくっついてたか、ちょっと気になって」
「分かった?」
「……うーん、それが調べるほど謎なんですよね。まずアンカーに何かつけるって行為自体が不可能らしくって」
 アンカーにファイルがくっついているなんて聞いた事もなかった。だから気になってセカンドアークに行ってまで調べたのだ。その結果得られた知識は、今までの補強のようなものだった。
 アンカーは設置と撤去のみが出来、設置した本人しか弄れない。それも位置の変更ぐらいしか行えず、何かを付加したり、付与したりは出来ないと言う。実際ハッカーになりたての頃に、念のために受動ウォールをつけようとして、出来なかった事があった。
「だから不思議なんですよね。何で僕のアンカーにくっついていたのか、偶然なのか、誰かがつけていったのか。その辺りだけでも分かればと思ったんですけど……」
「手がかりなし?」
「そうなんですよねぇ……あそこ、うかつに質問すると変なのが山のように釣れるし……」
 セカンドアークには優秀な人材も大勢いるのだが、性格に難有りで、コミュニケーションがまともにとれない相手が多過ぎる。正に玉石混合、独力で痛みなしに調べるのは、この辺りが限界だろう。
「中身、分かればいい」
「そうですね。複合化、上手くいってるといいんですけど」
 中身が分かれば、何故ついていたかも分かるだろう。そんな楽観的な希望を抱いた。
「ただいまー」
 即売所から帰ってきたハイデンは、帰宅の挨拶をしたが、返事はなかった。まだ集中しているのかと思い、居間に向かったが、ルインの姿はなかった。
 きっと部屋に戻ったのだろう。買ってきた食材をしまってから、ルインの仕事部屋を覗いたが、そこにもいなかった。自室に戻ったのならそれでいいのだが、仕事中のルインが自発的に部屋に帰るとは思えない。
 まあ外出はしていないだろうと思う。夕食の準備を始める前に、端末の調整でもしようと思って、自分の部屋に戻ったハイデンは、思わず肩をすくめてしまった。
「……ルイン、何してんの?」
「……んー……?」
 何故かルインはハイデンのベッドで寝ていた。インプットした情報を整理するために寝る、という習性はルイン本人から聞いた事がある。今日ずっと何かを読み続けていたルインが寝るのは分かるのだが、何故ハイデンの部屋なのだろう。
「部屋間違ってんぞ、ほら」
「うー」
 せめて自分の部屋で寝させようとするが、ルインはいやいやと首を振って起きようとしない。駄々をこねる赤子のようだ。仕方なく、すみっこに追いやられた布団の端を掴み、かけてやった。空調はきいているので風邪は引かないと思うが、念のためだ。
「飯作ったら起こしに来るからな」
 頭を撫でてやると、ルインは頬を緩めた。
“えへへ、おとーさん……”
 何を言ったのかは分からなかった。少なくとも悪い意味ではないだろうと、もう一度頭を撫でてから、ブラインドを閉め、台所へ向かった。
 ルインはたまに、ハイデンの知らない言葉で話す。何年付き合おうと、知らない部分があるのは当たり前といえ、壁があるようで少し寂しい。調べればいいのだが、分からないままの方がいい気もして、なかなか踏ん切りがつかない。矛盾しているが、要はハイデンは臆病なのだ。
 悶々と考えながら、一通り料理を作り終える頃、階段を下りる音が聞こえてきた。落ちやしないかと耳をすますが、何事もなく一階についたようだ。
「うー、おはよー」
「おはよう。目、覚めたのか」
「うんー……んー、まだ眠い」
 あくびを一つして、目をこすりながら席に着くルイン。彼女の目覚めはかなりすっきりとしたものなのだが、まだ眠気を感じるほどの情報を詰め込んだのだろうか。「お疲れさま」と言いつつ、ハイデンはパン皿やフォークを並べた。
「今日はハンバーグ?」
「ああ、安かったからな。ルイン、好きだろ?」
 ルインはハンバーグが好きだった。それも手作りや挽き肉から作った物ではなく、寄せ集めの肉で形を整えた、少しジャンクなハンバーグが好みだった。ルインははにかみ頷いて、いそいそとハンバーグを挟むためのバンズをとる。
「そういえば、さっきいい夢見たの」
「いい夢?」
 夢の話なんて滅多にしないのに珍しい、何を見たのだろう。サラダを取り分けつつ、ルインの話を聞く。
「お父さんが頭撫でてくれたの。そういう事しない人だったから、してくれるとすごく嬉しくて、いい夢だったなぁ」
「……お父さん、ねぇ」
「どうかした?」
「いや、何でもないよ」
 顔に出ていたのだろう。ルインに首を傾げられて、ハイデンは誤魔化した。肉親に嫉妬しても仕方ないが、先ほど頭を撫でたのが、ルインの中で「お父さんに撫でてもらった」と変換されたのかと思うと、やはり恋愛対象として見られていないのかと、複雑だ。
「あ、そうだハイデン、明日空いてる?」
「ん、何で?」
「ちょっとアーカイブまで行こうと思って。ハイデンもついてきてくれるとありがたいです」
「――アーカイブに?」
 もやもやしながらも食事を進めていると、そんな頼み事をされた。アーカイブと言えば、本来は過去の遺物を納めたデータ倉庫の総称だ。しかし現在では巨大な図書館の姿をとった、マザー管轄の施設の一つを指す呼称になっている。
 一般人の入場は禁止されているが、閲覧許可を申請すればすぐ入れる場所だし、電子空間上の施設だから移動の労力もない。だから行く事自体は構わないのだが、あんなところに何の用だろう。過去の遺物以外、何もないのに。
「また何で?」
「あのファイルを解読するのに手持ちの資料じゃ足りなくってさー」
「……複合じゃなくってか?」
「うん。複合でもいいけど、多分すっごく原始的な方法で暗号化されてると思うんだよね。ほらアルファベット一つずらすみたいな」
「あー、あったな、そんな遊び」
 たとえば林檎、AppleならBqqmfのように、アルファベット順を一つずらして書くと、意外と分からないものだ。義務教育時代、流行った事もあった。書くのも読み解くのも面倒なのですぐに廃れた遊びだが。
「それで元のデータが何の言語で書いてあるのか調べてたんだけど、東方語じゃなくってさぁ。ちょっとこれはアーカイブまで行かないといけないと思って」
「ふぅん……まあいいぜ。申請は出したんだろ?」
「うん、ちゃんと出したよ。あそこのセキュリティぐらいだったら通り抜けられるけどねっ」
「こらこら」
 胸を張って自信の実力を主張するルインをたしなめる。確かにマザーの管理するデータの中では、比較的緩い警備だと聞いているが、だからルールから外れてもいい事にはならない。そんな事をすれば、常駐しているガーディアンに捕まってしまう。
「あそこコピー禁止だったはずだけどそこら辺はいいのか?」
「うん、大丈夫。必要なところだけメモするつもりだし」
 「そこにたどり着くまでが長そうだけど」とルインはこぼした。旧時代は実際に使用されていた言語だけでも数十種類、方言などの亜種も含めれば百を超えると聞いている。ある程度絞り込み出来ていても時間がかかりそうだ。
「俺も手伝おうか?」
「ううん、大丈夫。アジア圏の言語って事は分かってるからすぐに絞り込めると思うんだ。多分」
 仮に使われている言語を発見出来ても、それで終わりとは限らない。ゴールではない予感や不安をルインは感じているのだろう。助けになれればいいのだが、頭の良さではハイデンはルインに適わない。キャパシティを超えると思考が止まってしまう。
「プログラム持ち込めればいいんだけどさー」
「あー、入る時に全部取り上げられるんだっけか」
「取り上げられるんじゃなくて使用制限かけられるんだけどね。流石にガーディアン敵に回してまで調べるのはなぁ」
 アーカイブの破損を懸念してか、入場の際にウォールを除くほとんどのプログラムが使用不可となる。持ち込む方法はあるだろうが、発覚すれば罰は避けられないだろう。ルインが受ける依頼のためにも、経歴に傷を作りたくはない。
「じゃあ明日の午後によろしくねー」
「おう、分かった」
 そういえば、ルインの仕事が主体であるため、一緒にダイブするのは久しぶりだ。その程度の事でも嬉しくなるものだった。
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